「家庭訪問」の記事の続きだけど
先生と話している時、バンビは自分の机(リビングの横にある)に向かって、いつもの製作(紙を切ってそれにペンで色を塗り、シールとセロテープを貼る作業)をやっていた。
で、私が「いつもこういうのを延々とやっているんです。幼稚園の時先生に”やりっぱなしじゃなくて、何か作品になるように持っていってあげたらいいんじゃないか。”って言われたんですけど。」と言ったら
T先生曰く、「そりゃ、単に親の自己満足でしょう。」とバッサリ

ま、そりゃそういう見方もあるか...な?
「作品に仕上げたって、本人には何のプラスにもならない。
それよりは 例えば線や文字の上を貼っていくようにして、それを意識させるとか決められた位置に同じシールを貼るとか、そういう方が将来の役に立つから親のエゴより良いでしょ。」
あー、なるほどねー...。

そう、先生の言ってることはある意味正しい。
T先生の頭にあるのは まず”社会的自立に向けて本人のプラスになるように。”だから、そういう観点から見れば確かにそうだろうな。
でも、作品に仕上げれば 周りが”すごいね”って誉めてくれる、本人が認められて自信を得られる っていう効果もあるとは思うんだけどね。
そこバッサリ否定?
T先生の笑える話(笑うしかない話?)は他にもあって
同級生の自閉ちゃんは、家庭訪問の時パズルをやっていて
T先生に「こういう子は細かいピースのパズルもできる能力をもってるかもしれない。
でも、それはパズルをやってれば人と関わらなくて済んで本人が楽だから。」と言われたらしい。

ママは「あぁ、はい。」と流したらしいけどね。ヘタなこと言えないし(笑)
ま、とにかくあれもこれも T先生の言ってることは間違ってない。
(その言い方はともかく)
ただねー、あまりにも一面しか見ていないんじゃないかなー とは思う。
例えば、バンビは確かに先生が断じているように ”状況を理解して、自分なりの見通しを立てて行動することが不得手”なところがある。
だけど、バンビが行動に時間がかかるのは 単に理解力不足なだけではなく
いろんなことに関心があり過ぎることや、特に目から入ってくる情報に頭の多くを占められてしまう(よそのことに集中しちゃって自分のことが疎かになる)といった、まぁPWSの子に割とよく見られる症状?から来るものでもあるんだけど
そこのところがまだわかってもらえてないかなぁ と感じる。
ま、グズちゃんなところは結果的には同じなんだけど。
それに、先生は「何をやってるか理解できてない状況で、ただ”やらされてる”だけの生活は本人のためにならない。」と言うんだけど
(もちろんそういう面もあるけど)
でもやっぱり、理解はしてないながらも 周りのお友達を見て真似しているうちにできるようになることが増えてきているから、あながち”全くためにならない”とばかりは言えないんじゃないかな というのが、今のところの親としての私の印象。
※ちなみに このバンビも”ちょっと頑張ればできるようになる”という加減がミソで、これが普通級だと”頑張ってもみんなと同じようにできない(あるいはできるようになるのに時間と相当の努力が必要)”となり、差が大きすぎて本人のストレスになるというわけ(バンビの場合は だけど。)
まぁやっぱり、親の見方と先生の見方は同じではないんだよね。
でも、それも仕方ないことなんだろうとは思う。見てる場所も時間も、対象の範囲も違うし。
T先生はベテランだからそれだけに割と一刀両断で断定しきっちゃってるところがあるように思うけど、まぁだからと言って 今のところそれがバンビに特に支障を与えるようなことはないので
私としては先生の言葉を前向きに(勝手に良いように)捉えることにする。
クセの強い先生ともお付き合いしていかなきゃいけないのが学校だから(何しろ日中子どもを預けている立場としては)先生をうまくおだてつつ、歩み寄れるところは歩み寄って、うまく付き合っていくしかないんだよねー。
T先生自体は ”子ども達を何とかしてやりたい”って熱意を感じるし、実際面倒見も相当良いと思うし。
1年生のこの1年は二度と来ないから、ベテランの先生から吸収できるものはどんどん吸収していきたいと思う。
あー、私も半年前は激辛コメントに泣かされてたのに、ホント 強くなったもんだなぁ...。
メールはこちらまで → bambi-suzu@mail.goo.ne.jp
先生と話している時、バンビは自分の机(リビングの横にある)に向かって、いつもの製作(紙を切ってそれにペンで色を塗り、シールとセロテープを貼る作業)をやっていた。
で、私が「いつもこういうのを延々とやっているんです。幼稚園の時先生に”やりっぱなしじゃなくて、何か作品になるように持っていってあげたらいいんじゃないか。”って言われたんですけど。」と言ったら
T先生曰く、「そりゃ、単に親の自己満足でしょう。」とバッサリ


ま、そりゃそういう見方もあるか...な?

「作品に仕上げたって、本人には何のプラスにもならない。
それよりは 例えば線や文字の上を貼っていくようにして、それを意識させるとか決められた位置に同じシールを貼るとか、そういう方が将来の役に立つから親のエゴより良いでしょ。」
あー、なるほどねー...。


そう、先生の言ってることはある意味正しい。
T先生の頭にあるのは まず”社会的自立に向けて本人のプラスになるように。”だから、そういう観点から見れば確かにそうだろうな。
でも、作品に仕上げれば 周りが”すごいね”って誉めてくれる、本人が認められて自信を得られる っていう効果もあるとは思うんだけどね。
そこバッサリ否定?

T先生の笑える話(笑うしかない話?)は他にもあって
同級生の自閉ちゃんは、家庭訪問の時パズルをやっていて
T先生に「こういう子は細かいピースのパズルもできる能力をもってるかもしれない。
でも、それはパズルをやってれば人と関わらなくて済んで本人が楽だから。」と言われたらしい。


ママは「あぁ、はい。」と流したらしいけどね。ヘタなこと言えないし(笑)
ま、とにかくあれもこれも T先生の言ってることは間違ってない。
(その言い方はともかく)
ただねー、あまりにも一面しか見ていないんじゃないかなー とは思う。

例えば、バンビは確かに先生が断じているように ”状況を理解して、自分なりの見通しを立てて行動することが不得手”なところがある。
だけど、バンビが行動に時間がかかるのは 単に理解力不足なだけではなく
いろんなことに関心があり過ぎることや、特に目から入ってくる情報に頭の多くを占められてしまう(よそのことに集中しちゃって自分のことが疎かになる)といった、まぁPWSの子に割とよく見られる症状?から来るものでもあるんだけど
そこのところがまだわかってもらえてないかなぁ と感じる。

ま、グズちゃんなところは結果的には同じなんだけど。

それに、先生は「何をやってるか理解できてない状況で、ただ”やらされてる”だけの生活は本人のためにならない。」と言うんだけど
(もちろんそういう面もあるけど)
でもやっぱり、理解はしてないながらも 周りのお友達を見て真似しているうちにできるようになることが増えてきているから、あながち”全くためにならない”とばかりは言えないんじゃないかな というのが、今のところの親としての私の印象。

※ちなみに このバンビも”ちょっと頑張ればできるようになる”という加減がミソで、これが普通級だと”頑張ってもみんなと同じようにできない(あるいはできるようになるのに時間と相当の努力が必要)”となり、差が大きすぎて本人のストレスになるというわけ(バンビの場合は だけど。)
まぁやっぱり、親の見方と先生の見方は同じではないんだよね。
でも、それも仕方ないことなんだろうとは思う。見てる場所も時間も、対象の範囲も違うし。
T先生はベテランだからそれだけに割と一刀両断で断定しきっちゃってるところがあるように思うけど、まぁだからと言って 今のところそれがバンビに特に支障を与えるようなことはないので
私としては先生の言葉を前向きに(勝手に良いように)捉えることにする。

クセの強い先生ともお付き合いしていかなきゃいけないのが学校だから(何しろ日中子どもを預けている立場としては)先生をうまくおだてつつ、歩み寄れるところは歩み寄って、うまく付き合っていくしかないんだよねー。

T先生自体は ”子ども達を何とかしてやりたい”って熱意を感じるし、実際面倒見も相当良いと思うし。
1年生のこの1年は二度と来ないから、ベテランの先生から吸収できるものはどんどん吸収していきたいと思う。
あー、私も半年前は激辛コメントに泣かされてたのに、ホント 強くなったもんだなぁ...。

メールはこちらまで → bambi-suzu@mail.goo.ne.jp