バンビ・わーるど

プラダー・ウィリー症候群の息子「バンビ」を愛し、その成長を見守る母・suzuのつれづれ日記(&ときどき猫だより)

怒りの感情

2011年10月18日 | 日々の出来事
それでまた続きと言えば続きなんだけど
(関係ないといえば直接関係ないけど)

”何故、常に彼らを機嫌良くさせておかなければいけないのか?”について。


この前読んだ宮部みゆきの「名もなき毒」という本の中に
”犯罪は怒りの感情から生まれる”というような話があって
そのことを急に思い出した。

例えば
「○○のことが頭に来る。許せない!」
「○○は成功しているのに、何で自分ばっかりうまくいかないのか!」
「自分がこうなのは、○○のせいだ!」
そういう感情が他人を傷つけたり、貶めたりする行為に結びつく ってことなのかな。


キリスト教でいう「7つの大罪」(暴食、淫欲、憤怒、怠惰、貪欲、傲慢、嫉妬)は
それ自体が罪なのではなく
それが罪の源=罪を導く可能性となる感情や欲望 であるということらしい。
「憤怒」も入ってるんだよなー。
(「暴食(大食)」も入っていることが何か悲しいんだけど...)

だから 心はいつもフラットに。
って、大事なんだね。


誰でも子どものうちは、自分の感情や欲求をコントロールするなんて難しいけど
成長するに連れて自然と(いろんな経験を踏まえて)その術を身に付けていくもの。
それだって何かのはずみに抑制しきれず暴発したりすることもあるわけで。

バンビのような子は尚更意識的にそれを訓練していかないと
大人になっても感情や欲求に振り回されることになってしまう。
(しかも本人だけでなく、周りの人間も巻き込んで)

だから、小さい頃から感情や欲求を状況に応じて抑制することができるように
振れ幅を小さく収められるように
親を初め周りがそれを教えて、訓練を積ませなければいけない。
そういうことなのかな と思う。

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プチ癇癪(続き)

2011年10月18日 | 日々の出来事
私は昨日”ガス抜き”として、そういうプチ癇癪はあっても良いのかも というようなことを書いたのだけど
療育園のSTの先生にこの話をしたら

”そういう行動はできるだけ起こさせないようにした方が良い。
 常道行動になってしまう(パターン化する)と困るので。”
と言われた。

バンビのように原因(というか、きっかけ)がわかっているのなら
できるだけそれを取り除いてやって、癇癪にまでもっていかないようにすべき なのだそうだ。

バンビの場合、矛先が私だけとういうことは
私に対する甘えの一環なのであって
だったら別の形で甘えさせてあげれば良く、癇癪にさせてはいけない らしい。


”常に機嫌良くいさせること。それが大事。”
とは この先生に常々言われていることなんだよねー。
(但し、甘やかすのではなく ってことだけど。)


まぁ確かに、例えば癇癪を起こすたび それを収めようと周りがその子の言うことを聞いてしまったりしたら
子どもは”癇癪を起こせば言うことを聞いてもらえる” と誤った学習をしてしまう。

癇癪を起こすこのはいけない と叱りつけるのではなく
癇癪を起こさせないようにするって、なかなか難しいけど...。


とにかく、誉めて誉めて。上げて上げて。 
同じことでも叱るんじゃなく、言い方次第でうまく持っていく。
あるいは目の前に人参ぶら下げて、上手に誘導する とか?
ほんと、親も頭使って知恵を絞らないとね。ボケてる暇ないよなぁ。

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