喫茶 輪

コーヒーカップの耳

村上春樹。

2011-07-23 21:43:19 | 文学

 村上春樹フリークの小西巧治さんが昨日来店。
 『文学界』8月号掲載の「村上春樹の神戸を行く」(鈴村和成)のコピーを持って来て下さった。
 二段組み21ページの力作である。
 鈴村氏は「暦程」同人の詩人でもある。そして村上春樹研究の第一人者。
 この記事のための取材に鈴村氏は東京から来られたのだが、その案内を小西氏がしておられる。
 村上春樹は少年時代を西宮に暮らす。最初に入学した小学校は浜脇小学校である。わたしもその学校に入学した。後に春樹氏は香櫨園小学校開校とともに集団転校している。わたしも用海小学校再開とともに集団転校した経験がある。

 さらに西宮神社、香櫨園浜、夙川など、私が幼い日に遊んだ場所が重なる。
 鈴村氏はそこを訪ねて村上文学の源流を探る。それらの場所が小説に色濃く影響を及ぼしているのだ。その取材のお手伝いをされたのが小西氏だ。
 身近な記述がいっぱい。西宮がいっぱい。全国発信の雑誌にこれだけ西宮が取りあげられることは少ないであろう。それに比して西宮市は文化意識が希薄である。今や村上春樹は芦屋神戸に取り込まれてしまっている。西宮で少年時代を過ごしたということを市として発信しようとしない。残念なことだ。
 小西氏はわたしに熱っぽく語って下さる
 まるで少年のような目で。全く邪心のない目だ。村上春樹と西宮に恋したように語られる。わたし、春樹はほとんど読んだことがない。しかし春樹はいまや海外でもっとも多く読まれている日本人の作家である。海外の教科書にもっとも多く採用されている作家でもある。ノーベル文学賞に最も近い日本人なのだ。
 小西氏の熱意に押されて、時間に余裕が出来れば、もう一度春樹に取り組んでみようかと思う。

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絵はがき二枚。

2011-07-23 18:39:22 | アート・文化

神戸の詩人で書や絵もなさる中村信司さんから「暑中見舞い」が。

Img068 素朴な絵でいいですね。

そして次は、版画をなさる詩人、由良佐知子さんからの版画の絵はがき。

Img050 オシャレですねえ。

もう大分前に「梓の会」の版画展に行ったことへの礼状です。

その「梓の会」展の詳細はこちら↓に載せてます。

http://blog.goo.ne.jp/coffeecup0816/d/20110611

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ユリの花

2011-07-23 18:21:51 | 喫茶・輪

昨日は色々と忙しくしていてブログ書けなかった。

で、昨日のこと、先ず一つ書きます。

ユリの花です。しっかりとした花できれいです。

Photo

H山さん92歳がお持ち下さった。H山さん、久しぶりのご来店です。

暑くなってからは自重して頂いていたのでした。

また涼しくなったらということで。

しかし昨日は薄曇りで、気温も低め。ということでやって来て下さいました。しかも、こんな花を持って。実はH山さんのご子息が花関係の会社にお勤めで仕事上お持ち帰りになったものでした。

しっかりした花です。蕾もまだまだ楽しめます。

そして今日、何輪かが咲きました。

ますます立派になってきました。

Cimg5738

話はこれだけで終わりません。

H山さんお一人でご来店でしたが、しばらくするとF本さんが扉を開けて入って来られました。わたし、てっきり待ち合わせをされたのだと思いました。

このF本さんは96歳。

この人にも、涼しくなったらまた、と自重して頂いていたのでした。

お二人は仲良しで、暑くなるまでは、ご一緒にご来店頂いていたのです。

ところがお二人顔を見合わせてお互いにビックリ。

お互いが相手を誘うのを遠慮されていたのでした。

もう一ヶ月ほどもご無沙汰でしたのに何という偶然でしょうか。

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富士野高嶺さん。

2011-07-23 13:13:06 | 千村克子さん

富士野高嶺さんが亡くなられたと。↓

http://www.asahi.com/obituaries/update/0723/OSK201107230107.html

「ああ…」と思う。

昨年のわたしのブログからコピーしました。↓

〇2010年1月5日付け。

「昨日、富士野高嶺さんから電話が有りました。元タカラジェンヌです。昭和4年初舞台。

現役を退かれてからは、後進の指導をずっと続けておられる。

『神戸っ子』1月号のエッセーに、富士野さんが書かれた『ザ、吹き寄席タカラヅカ』という本か

ら引用させて頂いたので、その縁でお電話を頂いた。実は富士野さん、わたしの畏敬する文

芸評論家(この言葉を自分に使われることを先生は嫌われるが)宮崎修二朗氏と、昔、昵懇

だった人なのだ。そんな話などをして、「懐かしいです。ぜひご一緒に来宅ください」と言ってく

ださった。それが通り一遍の儀礼的な言葉ではなく、心からのお誘いだった。ありがたいこと

である。いつか折を見てお伺いしたい。」

〇2010年5月8日付け。

元タカラジェンヌの富士野高嶺さんから電話を頂く。千村克子さんのことを書いた『kobecco』

1~4月号(富士野さんの著書から一部引用させて頂いたので)、をお送りしていた、その返

事と、ほか宮崎修二朗先生のことなどいろいろ。

もうご高齢のはずだが、しっかりしておられる。ご自宅に「おいで下さい」と言ってくださる。あ

りがたい。是非、機会を作って一度お目にかかりたいものだ。貴重な話が聞けるでしょう。

〇2010年5月14日付け。

元宝塚女優の富士野高嶺さんから、一冊の本が送られてくる。

Img005

『ザ、吹き寄席宝塚』(2005年刊)富士野高嶺著。

わたしはこの本すでに、千村克子さんの遺品を所持している。

送ってこられたのは、「宮崎様」への署名入りである。

手紙に宮崎修二朗先生にお渡しください、と。

ところがである。その宮崎修二朗先生が、今日午後、久しぶりに見えたのである。

偶然である。

そして、先生がわたしにと持って来てくださった本の中に、驚く一冊が。

Img004

『今昔 たからづか』(富士野高嶺著・1990年刊)。

なんたる偶然。

高嶺さんは多才の人である。

文章は軽妙洒脱、見事なもの。

俳句もなさる。

絵がまたおしゃれ。この本の表紙カバー絵も高嶺さんが描かれたものですよ!

舞踊は禄春という名で、劇団員に長年教えてこられている。

この人のこと、知れば知るほど凄いひとだ。

タカラヅカのスーパーレディーと言っていいのではないだろうか。

何ということか!

わたしはこんなことばかりだ。

この時、宮崎修二朗先生に「一緒に行きましょう」と言ったのだが、先生は「あの人には昔お世話になって、まだ御恩返しが出来てないから、会わす顔がないのです。だから行けません」とおっしゃったのだった。

わたしもそのままお会いせずである。ああ残念。昔のタカラヅカのお話や、千村克子さんの話を詳しく聞けたのに。ああ本当に残念。

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