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出石(いずし)町のこと。

2012-03-07 20:52:00 | 出石

 親しくして頂いている奥村忠俊さんから、『ねっとわーく京都』の2004年8月号を送って頂いた。

 

 これには出石(いずし)の歴史転換に関わる記事が載っている。

 出石はわたしの大好きな町だ。わたしのペンネーム「出石アカル」はその由来による。

 その出石町が、平成の大合併に巻き込まれて豊岡市になってしまった経緯がこの冊子には書かれている。

 奥村氏、町長就任間なしのインタビュー記事である。

 

 

 8年前だから、少しお若く写っている。

 奥村さんは、うちの家内の同級生。その縁で随分昔から親しくさせて頂いている。そして「出石城」というそば屋を経営する社長さんでもある。出石へ行って時間が許せばそこで出石名物の皿そばを頂く。これがおいしいのだ。

 その奥村氏が町長になるいきさつがインタビュー記事になっている。

 そもそも、奥村氏は出石の町会議員であった。彼は共産党員である。しかし毎回の選挙で上位当選する。人柄がいいのだ。会って話をすれば彼の人柄にほれ込む人は多いだろう。彼は言っている。「私は基本的に敵をつくるのが嫌いな性格です。ですから解放同盟でも公明党や他党の人たちとも仲良く付き合います」と。

 政府の政策で全国的に市町の合併が進められて行きました。出石町も例にもれませんでした。出石町は単独で十分やっていける町でした。独特の文化香る町でした。何のとりえもない豊岡市(ゴメンナサイ)と合併して豊岡の一部になる必要は全くなかったのです。

 当然反対の声が上がります。町は二分されます。その中で、当時の町長は国の方針に取り込まれて行きます。しかし、どちらに転んでもいいような日和見態度も保ちながらのずるいやり方で。

 奥村氏は当然反対の立場。その仲間が集まり反対運動を繰り広げます。が、結局、合併はなされてしまいます。そのずるいやり方が、この『ねっとわーく京都』のインタビュー記事で明らかにされています。

 この合併決定直後に紆余曲折があって奥村氏が出石町最後の町長として当選します。その選挙戦は感動ものです。共産党員の奥村氏は自分でも勝てると思えず、選挙が終わった時の挨拶を負けを想定して考えていたと。だから、予想に反して勝った時、「勝っちゃった」というしかなかったそうです。

 出石という町は面白い町です。人口も少なく小さな町です。ところが昔から個性豊かな人を多く輩出しています。東大初代総長。沢庵禅師。戦時中、国会で粛軍演説をし追放された齋藤隆夫。この人は地元のためには大したことしなかった衆議院議員さんでしたが出石の人々は毎回トップ当選させました。出石人の見識は見事です。幕末には桂小五郎を町の人は匿いました。さらに文化勲章を受けた文人は洋画家伊藤清永を始め三人に上ると言います。人口が西宮の50分の一、一万人ほどの、あの小さな町で。

 出石は田舎町です。本来保守的な町です。そこで共産党員の町長を誕生させるのです。選挙では自民党支持の人までが多数応援したりするのです。

 そうして生まれたのが奥村忠俊町長でした。町長に当選した彼は言います。

 「合併はしない方がいいに決まっています。しかし、合併を覆すことはしません」その理由を、決まってしまったことを覆そうとすれば町に新たに混乱を巻き起こし、不毛の戦いをしなければならない。それよりも「豊岡?ああ城下町の出石があるところですね、と言われるような町を私たちは築いていきたい」と。

 偉いですね。わたしは、このような人と親しくさせて頂いていることを誇りに思います。

 最後の出石町長、奥村忠俊氏は家内の同級生だと書きました。

 が、もう一人スゴイ同級生がいます。今、日本中からパッシングされている弁護士、安田弁護士です。あの光市のむごい殺人事件の犯人の弁護を引き受け、あの橋下さんととかくの因縁のある人です。

 彼は、あのオウムの麻原も弁護しました。が、途中で別件で逮捕され、その役から外されました。この裏には大きな力が働いたとしか思えません。

 安田弁護士については色んな意見があるでしょう。日本人のほとんどが批判するでしょう。しかし彼は昔から、日本中から嫌われる被告ばかりを弁護してきてます。人気取りでもなく、まして金もうけには全く繋がらないその思想には、わたし共感する所があります。彼を本気で、ホントに本気で批判するなら、少なくとも彼が書いた何冊かの著書を読んでからにするべきだと思います。あの橋下氏が彼の著書を読んだとはとても思えません。

 出石のことから、話、横道にそれました。

 昨夜、テレビの「開運なんでも鑑定団」を見ました。わたしの好きな番組です。

 新聞のTV欄には豊岡という文字が。で、豊岡での収録ということです。わたし、これ出石とちゃうやろか?と思いました。すると案の定、出石の「永楽館」という歴史的芝居小屋からの放送でした。

 ということです。出石町のままなら、テレビも「出石」と報道発信するのです。出石という地名に興味のない全国の視聴者は「豊岡」と記憶するでしょう。出石は観光の町です。豊岡と合併してはいけなかったのです。

 

 今日は出石のことばかり書きました。西宮発のブログなのにね。けど、西宮人も気骨を持ってほしいのです。出石の人のように。「お前がやれ!」と言われそうですが、もうこの老体ではムリです。

 

 

 

コメント (2)
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