昨日は心が忙しかった。
先ず、ケータイにメールが井上慶太九段から。
用件 のほかにこんなことを書いてくださっていた。
「王位戦で、中の坊瑞苑に宿泊した時、拝読させていただきました」と。
『神戸っ子』のエッセイ欄「喫茶店の書斎から」のことである。
有馬のホテル、旅館の各室には『神戸っ子』が置かれているのだ。
そのエッセイ欄に「書」でカットを書いてくださっている六車明峰さんが来訪。
「名筆」を主宰しておられた村上翔雲師のご遺族から、六車氏を通して「今村さんへ」と師の遺筆「亮介」を先に贈って頂いていた。
その「書」を収める額縁を持ってきて下さり、セットしてくださったのだ。
詩の一部を切り取ってのものだが立派な作品である。
翔雲師はこの「亮介」をことのほか気に入ってくださっていたようで、ご生前には扇面に書いてくださった。
ほかにもお亡くなりになってから一点、変形色紙に書かれたものが見つかってご遺族から贈って下さったりと。
そしてまた新たに見つかったというのだ。
改めてお礼申します。
この「亮介」は『完本コーヒーカップの耳』にも収録されています。
その後、六車氏と昼食に出かけたところで、食事が終わって帰りに、
ウェートレスのお姉さんから「きんちゃん」と呼びかけられる。
聞き間違いかと思って車に乗ってから六車さんに、「さっききんちゃんて言われましたよねえ」というと「うん言わはった」と。
やはり間違いない。しかしなんとも懐かしい。
そのウェートレスさんはご近所の人で、その店の元店長さん。定年になってからもウェートレスとして働いておられるのだ。
その彼女が子どものころ、ほかの子も一緒に遊んであげたことがある。
そのころ(わたしは青年だった)、その人のお母さん世代はみな、わたしのことを「きんちゃん」と呼んでおられた。
それで、その頃の近所の子どもたちはみな、わたしのことを親に習って「きんちゃん」と呼んでいたのだ。
だがしかし、子どもたちはお母さんから、「きんちゃんと呼んだらいけません」と叱られたりしていたものだ。
その「きんちゃん」を昨日久しぶりに聞いたのだった。
今でもわたしのことを「きんちゃん」と呼ぶ近所の人はわたしの同世代より上の人だから、もう2,3人になってしまった。
まして、ずっと年下の人から呼ばれることは絶えて久しい。といっても彼女にはすでに孫がいる。わたしも年を取ったものだ。
六車氏を駅までお送りして帰宅。
次は、注文していたプリンターが電気屋さんから届き、パソコンとのセットアップをしてもらう。
ところがこれがうまく行かない。
パソコンがちゃんと動いてくれないのだ。パソコンが寿命かも、と電気屋さんはお手上げの様子。
そこでPCのお助けマンのA氏に電話。
「行きます」と言って来てくださった。
さすがプロだ。少し時間はかかったが、つないでくださる。
「時間かかりますねえ。ゴミがいっぱい溜まってます」と言って、除去作業もして下さる。
これに時間がかかったが、今はサクサクと動いている。
ただ、もう少し設定してほしい機能がまだ入っていないので、また改めてきてもらわねばならない。
お助けマンさん、よろしくお願いいたします。
昨日は長かったような短かったような、心せわしない一日だった。
先ず、ケータイにメールが井上慶太九段から。
用件 のほかにこんなことを書いてくださっていた。
「王位戦で、中の坊瑞苑に宿泊した時、拝読させていただきました」と。
『神戸っ子』のエッセイ欄「喫茶店の書斎から」のことである。
有馬のホテル、旅館の各室には『神戸っ子』が置かれているのだ。
そのエッセイ欄に「書」でカットを書いてくださっている六車明峰さんが来訪。
「名筆」を主宰しておられた村上翔雲師のご遺族から、六車氏を通して「今村さんへ」と師の遺筆「亮介」を先に贈って頂いていた。
その「書」を収める額縁を持ってきて下さり、セットしてくださったのだ。
詩の一部を切り取ってのものだが立派な作品である。
翔雲師はこの「亮介」をことのほか気に入ってくださっていたようで、ご生前には扇面に書いてくださった。
ほかにもお亡くなりになってから一点、変形色紙に書かれたものが見つかってご遺族から贈って下さったりと。
そしてまた新たに見つかったというのだ。
改めてお礼申します。
この「亮介」は『完本コーヒーカップの耳』にも収録されています。
その後、六車氏と昼食に出かけたところで、食事が終わって帰りに、
ウェートレスのお姉さんから「きんちゃん」と呼びかけられる。
聞き間違いかと思って車に乗ってから六車さんに、「さっききんちゃんて言われましたよねえ」というと「うん言わはった」と。
やはり間違いない。しかしなんとも懐かしい。
そのウェートレスさんはご近所の人で、その店の元店長さん。定年になってからもウェートレスとして働いておられるのだ。
その彼女が子どものころ、ほかの子も一緒に遊んであげたことがある。
そのころ(わたしは青年だった)、その人のお母さん世代はみな、わたしのことを「きんちゃん」と呼んでおられた。
それで、その頃の近所の子どもたちはみな、わたしのことを親に習って「きんちゃん」と呼んでいたのだ。
だがしかし、子どもたちはお母さんから、「きんちゃんと呼んだらいけません」と叱られたりしていたものだ。
その「きんちゃん」を昨日久しぶりに聞いたのだった。
今でもわたしのことを「きんちゃん」と呼ぶ近所の人はわたしの同世代より上の人だから、もう2,3人になってしまった。
まして、ずっと年下の人から呼ばれることは絶えて久しい。といっても彼女にはすでに孫がいる。わたしも年を取ったものだ。
六車氏を駅までお送りして帰宅。
次は、注文していたプリンターが電気屋さんから届き、パソコンとのセットアップをしてもらう。
ところがこれがうまく行かない。
パソコンがちゃんと動いてくれないのだ。パソコンが寿命かも、と電気屋さんはお手上げの様子。
そこでPCのお助けマンのA氏に電話。
「行きます」と言って来てくださった。
さすがプロだ。少し時間はかかったが、つないでくださる。
「時間かかりますねえ。ゴミがいっぱい溜まってます」と言って、除去作業もして下さる。
これに時間がかかったが、今はサクサクと動いている。
ただ、もう少し設定してほしい機能がまだ入っていないので、また改めてきてもらわねばならない。
お助けマンさん、よろしくお願いいたします。
昨日は長かったような短かったような、心せわしない一日だった。