芦屋の詩人山下徹さんの新詩集『親水公園にて』を読ませていただいた。
全ての詩に写真が添えられている。
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例によって「あとがき」を。
←クリック。
ここにあるように、今年二冊目の詩集。
精力的です。なにかに追われるように、といった感じもします。
というより、義務感にも近いでしょうか。
この詩人のこれまでの詩は、正直言ってわたしには難しかったです。
でもこのところの詩は、心の内がそのまま自然に流れ出るようで、わたしにも馴染めます。
「序章」です。
←クリック。
とはいっても言葉は選ばれていて、やはり「詩」です。
この詩などは特に。
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写真は上げないが次の「その13」など、質のいいアフォリズムを思わせます。
不幸を 幸福に変えることはできない
だけど 不幸を表現することはできる
そのことをまた 再確認していた
しばし橋の前で 空を仰いでいた
「その16」はこうです。
芦屋の海に近い公園の片隅で
私は片隅なりの詩を書いている
好きなら 好きだ
きれいなら きれいだ そう書いている
雲や木や風 そこに生きるあの女とお話しをする
それが片隅の詩だ
きょうも 木陰で
六甲山を見ている
詩集全体の後ろに8年前にお亡くなりになった氏の愛妻の姿がうっすらと見える。
わたしもよく知る人だった。「輪」へも何度もご来店くださった。将棋の好きな人だった。
全ての詩に写真が添えられている。
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例によって「あとがき」を。
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ここにあるように、今年二冊目の詩集。
精力的です。なにかに追われるように、といった感じもします。
というより、義務感にも近いでしょうか。
この詩人のこれまでの詩は、正直言ってわたしには難しかったです。
でもこのところの詩は、心の内がそのまま自然に流れ出るようで、わたしにも馴染めます。
「序章」です。
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とはいっても言葉は選ばれていて、やはり「詩」です。
この詩などは特に。
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写真は上げないが次の「その13」など、質のいいアフォリズムを思わせます。
不幸を 幸福に変えることはできない
だけど 不幸を表現することはできる
そのことをまた 再確認していた
しばし橋の前で 空を仰いでいた
「その16」はこうです。
芦屋の海に近い公園の片隅で
私は片隅なりの詩を書いている
好きなら 好きだ
きれいなら きれいだ そう書いている
雲や木や風 そこに生きるあの女とお話しをする
それが片隅の詩だ
きょうも 木陰で
六甲山を見ている
詩集全体の後ろに8年前にお亡くなりになった氏の愛妻の姿がうっすらと見える。
わたしもよく知る人だった。「輪」へも何度もご来店くださった。将棋の好きな人だった。