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『新宿の猫』

2019-01-14 16:22:21 | ドリアン助川さん
今読んでいる本はこれ。
『新宿の猫』(ドリアン助川・ポプラ社)。
読むリズムに乗るのにちょっと手間取ったが、今は興に乗ってドンドン読み進めている。
中に「詩」に関する話がワッと出て来て、一瞬驚いたが、驚くことはないわけで、著者のドリアンさん、詩人でもあるのだった。
作中人物が作った詩も披露されているが、それはドリアンさんが作ったものだろう。趣の違う詩が数篇出てくる。流石に上手いものだ。
出てくる詩人の名前。宮沢賢治、萩原朔太郎、金子光晴、高村光太郎、草野心平、アルチュール・ランボー、ガルシア・ロルカ、エミリ・ディキンソン、など。
そして、わたしの心を動かした言葉。
《「そうですね。私が、両親に捨てられたことも」
 体の中で、背骨に沿って黒い煙が立ち上がったような気がした。》

この二行はわたしにとっても衝撃的な比喩だった。そうかそんな比喩があったのか!と。

今、半分ぐらい読んだ所だが、今日中に読んでしまうかも。

追記
 やっぱり読み終えてしまいました。今午後7時25分。
 良かった。この本を読んで思ったのは、人が若い日に傷つくというのもいいことではないか、ということ。
 それによって人生が深く豊かになるのかもしれない。傷つき、苦吟している最中は、平穏な人生がいいと思うものだろうが、
 老境に入って今思うのは、特にこの本を今読み終えて思うのは、もう一度人生を歩めるのなら、やはり傷つくことのある味わい深い人生がいいかもしれないということ。
 とは言っても、今読み終えたばかりだから、こんなことを思ってしまうのかも。
 実際にはやはり平凡に幸せなのがいいのかもしれない。
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