
もう一度行きたい国だけれど
なかなか行けない国 アルゼンチン
特に 私たちが行った北部のサン・ミゲル・デ・トゥクマンは
ヨーロッパかアメリカを経由し さらにブエノスアイレスから国内線に乗り継ぎ
往復に5日間かかってしまう 地球の真裏
そんな国に 自転車を持って行けるなんて
この仕事をしていてよかった(笑)

アンデスへと連なる山々の麓を走る
全てが壮大
1時間走っても
山が全く近づいて来ない(笑)

自転車はほとんど見かけない
1週間を越える旅だったが
すれ違ったのは ほんの数人
スポーツ自転車は 番組に出てきた1人だけだった
みたことのない景色に興奮状態の我々を
アルゼンチンはタダでは放っておかなかった

グラベルだ
ゴツゴツ岩だらけの道
細かい砂の浮いた滑りやすい道
全行程900kmのうち 600kmぐらいがグラベルだった
手首が腱鞘炎になり
帰国後3ヶ月以上 痛みが取れなかった
きわめつけは 砂でできた道だ
上手にトルクをかけないと ズルズルに滑って
全く進まない
旅人のサノッチは スポーツ万能ではあるが
自転車は初心者
最初は全く走れず 10km進むのに2時間以上かかってしまった
しかも ガタガタ走っているうちに
サドルを止めるボルトが1本なくなってしまった
これはさすがにマズいと思った
代用できるネジも手に入らず
最悪は私のサドルを差し出す覚悟をした(笑)
しかし まさに天の助け
探し当てた町の人がシートポストを譲ってくれたのだ
その人は 町の普通のガラス屋さんなのだが
自転車で来る旅人が しょっちゅう助けを求めにやって来るので
最低限の部品を置いてくれているのだそうだ
残り数百キロを サドルなしで走らずに済んだ(笑)

その後も延々と続いたグラベル
もちろん人の気配は全くなし

たまに標識が現れるが
絶望的な距離を突きつけてくる(笑)

人生で2度目の
標高4000mの峠を通過した
ここまで5日間ほど 標高2000m以上にいたので
今回は高山病にはならずに済んだ
もちろん そうなるように
旅のルートを考えたからだ
ペルーで地獄を味わった経験が生きた(笑)

雪の大地のようですが これ全部塩です
標高3400mの塩湖
ここで撮った写真は いまだに携帯の待ち受けになっている
走るとザクザクと音を立てて
5センチほど沈む
カメラ片手に走るのが大変で
走行シーンを30秒も作れなかった
そして次の日には 自転車のサビ落としをするハメになった(笑)

この旅でも 親切な人にたくさん出会った
道を聞くと 一生懸命に教えてくれる

そして口々に 日本はいい国だと言ってくれる
貧しい人たちが多いアルゼンチンでは
日本は先進国家であり 夢の国なのだという

人に会うたびに 日本は良い国だという話で盛り上がり
そして親切に道を教えてもらう
この国の旅に 地図はいらない
そう感じて 途中から地図を見なくなった

今や なかなか見る機会がない
ポンコツ車
この国では 割とスタンダードに走っている

基本的には ラテン系の明るさがあるけれど
どこか陰を感じる
皆 今日を生きるのが精いっぱいなのだ

こういう国で 感染症が流行したら
大変なことになる
高度な医療なんて もともと受けられないし
国には休業補償をする財力がない
死人があふれ 店はどんどん潰れ
国が崩壊してしまうかもしれない
その時が来たら
私たちはそういった国の人たちのために
何かをしてあげられるだろうか?

私の行くロケでは
夕飯での話題は だいたい明日のルートの話になる
どんな人に出会いたいか?
どんなものを撮りたいか?
現地に詳しいコーディネーター(通訳)に聞いたり
ホテルや町の人に聞いたりして
明日のルートを決める
だがアルゼンチンの旅は 少し様相が違った
無事にゴールへたどり着く道を探すこと
話題はこれだけに絞られていった

地図にある道が どこにも無くなっていたり
橋が崩落していたり
ひとつ選択をミスすれば 数百キロ戻るハメになり
ゴールできなくなる
まあそれはそれでアリなのだが
ゴールで撮りたいものがあったのだ

ウマワカのカーニバルだ

ギリギリ夕方にたどり着いた我々が
日本から来た旅人だと知ると
熱狂的に迎えてくれた
この国のガタガタ道をひたすら走って
泥と埃にまみれながら
出会う人たち全ての口から たくさんの夢を聞いた
小さな夢から ホラだと言われそうな大きな夢まで
とにかく 誰もが夢を口にした
しかし 他人の文句を言う人には
1人も出会わなかった
アルゼンチンは そういう国だった
