新潟地理歴史・写真撮影:2008.10.26
徳昌寺は与板城主直江氏ゆかりの寺である。
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寺の説明書きがあったのでタイプしてみた。読んでいくうち色々な人と家が絡んだ歴史を持つことがわかるのが嬉しい。直江、上杉、牧野・井伊と江戸期に至るまでこの地に関与した名が出てくる。また、良寛の名が同時に登場してくるのも興味深い。一回では写真点数が多くなりすぎるので二または三回で紹介したい。
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徳昌寺
香積山徳昌寺(こうしゃくさんとくしょうじ・与板町馬場丁・曹洞宗)は、文明11年(1479)直江家を開基、耕陰道夫(こういんどうふ)を開山として創始以来上杉家の帰依、直江家の菩提寺として栄え、上杉家・直江家の会津移封、米沢移封以後も、牧野家・井伊家藩主の崇敬と檀信徒、特に豪商大阪屋三輪家の擁護により、開山以来初代住職から連綿し、本日に至っている。
文政11年(1828)、有栖川宮家の祈願所となり、寺院の至る所に菊の御紋章が見られる。また、境内には縄文時代の生活跡があり、火焔型土器等が出土し、西山丘陵の縄文文化の跡を物語っている。釈迦の命日に行われる涅槃絵だんごまきは、広く住民にも知られ、代々の住職は托鉢で町中をまわるなど広く教化活動を行い、住民から「方丈様」と親しみを込めて尊称されている。
良寛の父の実家が与板にあったことから良寛はよく与板に訪ねており、ここ徳昌寺には良寛と交友があった三輪左一や維馨尼の墓がある。
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仁王尊縁起 (Photo-09の説明書から)
この仁王尊は、朝鮮の高麗時代の作品と伝えられている。古く渡来し今の千葉県の某寺に在ったが、明治維新の兵火に遭い、その寺の没落のため東京の古物商大澤氏の手に渡り、その後昭和二年八月に大澤氏より、徳昌寺に寄進されたものである。 徳昌寺
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写真撮影:2008.10.26 旧三島郡与板町(現長岡市)
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2008年 地理の部屋と佐渡島
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http://blog.goo.ne.jp/dachasnowman/
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まあ、『天地人』はこれからだし、こちらでも勉強させてもらえるし…。いずれ、近いうちに…。
「天地人」は来年ですし、テレビでも
やりますから..。
さて、まだ本与板城を紹介していませ
んし、上杉謙信公の像もお見せしてい
ません。取材後も撮影はしていますので、
ついついとびとびになってしまいます。
徳昌寺はなかなか威厳がありそうな感じを
受けます。
良覚さんとの縁も面白いですね。
三輪左一さんのお墓があるようで...。
中野孝次さんの書「風の良寛」で再確認しました。
良寛さんもこのお寺に来て
三輪さんのお墓に手を合わせたのですね。
徳昌寺はそう大きな寺ではないですが、雰囲気は
よいです。こう言うところをちょいちょいとまわ
るのも又楽しいものです。
良寛さんについては、与板・寺泊・出雲崎あたり
がやはり舞台ですね。
くわしいですねぇ。
当方のかわりに解説をお願いしたい
くらいです。あちこちに良寛さんゆ
かりの場所があります。