
佐渡島の灯台と題して佐渡島内の主要な灯台を紹介した事がある。その際、紹介しているすべての灯台の写真が紹介できるわけでもなく、手元にあるものだけをお見せしていた。
以来、機会を見て撮影のかなったものは紹介してきたが、今回は台ケ鼻灯台。先の紹介では「入口のよくわからぬ灯台だが、佐渡の四隅にある灯台の一つ。」と紹介した。これで、大佐渡の北端(弾埼)・南端(台ケ鼻)、小佐渡の北端(姫崎)・南端(沢崎鼻)の四灯台がそろった。かんりにんとしてはまずは一安心。
最初はこれが入口ということは確信があるわけでもなく、目星を適当に付けての事であった。したがってバス通りから歩いてのアプローチとなる。
晩秋の風の強い日に訪れた。冬枯れているとは言え、周囲の木立のおかげで風をあまり気にせず(舗装されていない道を)進む。道の周囲は何もないので一人は少し寂しい。もし現地を訪れるのであれば、連れがいると良いであろう。道に迷うことは無かろうが、途中分かれている所もあるので、電線を目印にすると良いかも知れない。やがて道の向こうに白い灯台が見えてくる。
昨年1月9日の記事「米郷と台ケ鼻灯台」
<写真撮影:2005.12.3> 2006年 地理の部屋と佐渡島。
佐渡の生まれ育ちですが、行ったことのない場所がたくさんあるなと、「佐渡の歴史と地理」でいろいろ学ばせていただいています。
さて、この台が鼻灯台ですが、6世紀頃の古墳があったところです。製塩土器が出土して、小木海洋博物館にその土器のかけらが陳列されているそうです。
宇佐美貞夫さんの「黄金と流刑の島 佐渡」によると
高句麗から製塩と軍団編入が目的の渡来人集団が、大和政権によって能登経由で送り込まれたと思われる。
九学会報告書では、「台が鼻古墳は、高麗の人々の墳墓とみなすことも可能であろう。海上遙かに故国を臨む地を選んで建墓されたのではあるまいか」と述べている。台地上の古墳は、概ね展望の利く地にあり、死んでも眺めのよいところに葬られたいという人類の、昔も今も変わらない心情からであろう。
という記述があります。
佐渡に数多くある灯台の中でも、古墳跡に建てられたのはここだけでしょうか。
初の登場のことですが、見ていていただいて
感謝です。これからもよろしくです。
今回は素晴らしい解説がついています。
今後も足りない部分を補っていただけますと
ありがたいです。
古墳のことは全く知りませんでした。佐渡っ
て、こう言うところの説明書きをもっと整備
すべきといつも思います。良いもの持ってい
るのに..。
「台が鼻」を検索していたら「高句麗」文字に興味があり、開いてしまいました。『佐渡広場』を開設しています。よかったら、ご覧ください。http:blog.livedoor.jp/challengersglory1/?blog_id=1461583
先程、アドレスが違って投稿していました。
今度は大丈夫?
http://blog.livedoor.jp/challengersglory1/?blog_id=1461583
佐渡からのコメントをいただけるのは
何よりであります。今後ともヨロシク
であります。
なお、後でいただいた方へはジャンプ
できました。そちらへも、もちろんお
邪魔いたします。