地理の部屋と佐渡島

2009年4月よりの佐渡単身赴任があけ、2014年4月より長岡へ。別れが絆をより深めた。今後ともよろしくお願いします。

台ケ鼻灯台

2006年01月10日 05時55分04秒 | 佐渡地理



 佐渡島の灯台と題して佐渡島内の主要な灯台を紹介した事がある。その際、紹介しているすべての灯台の写真が紹介できるわけでもなく、手元にあるものだけをお見せしていた。

 以来、機会を見て撮影のかなったものは紹介してきたが、今回は台ケ鼻灯台。先の紹介では「入口のよくわからぬ灯台だが、佐渡の四隅にある灯台の一つ。」と紹介した。これで、大佐渡の北端(弾埼)・南端(台ケ鼻)、小佐渡の北端(姫崎)・南端(沢崎鼻)の四灯台がそろった。かんりにんとしてはまずは一安心。


 最初はこれが入口ということは確信があるわけでもなく、目星を適当に付けての事であった。したがってバス通りから歩いてのアプローチとなる。

 晩秋の風の強い日に訪れた。冬枯れているとは言え、周囲の木立のおかげで風をあまり気にせず(舗装されていない道を)進む。道の周囲は何もないので一人は少し寂しい。もし現地を訪れるのであれば、連れがいると良いであろう。道に迷うことは無かろうが、途中分かれている所もあるので、電線を目印にすると良いかも知れない。やがて道の向こうに白い灯台が見えてくる。


昨年1月9日の記事「米郷と台ケ鼻灯台」


<写真撮影:2005.12.3> 2006年 地理の部屋と佐渡島。


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5 コメント

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はじめまして (なお)
2006-01-17 02:20:56
昨年秋に偶然こちらのサイトに辿り着いて、かんりにんさんの穏やかで端正な写真と文章に惹かれ、以後時折寄らせていただいています。

佐渡の生まれ育ちですが、行ったことのない場所がたくさんあるなと、「佐渡の歴史と地理」でいろいろ学ばせていただいています。

さて、この台が鼻灯台ですが、6世紀頃の古墳があったところです。製塩土器が出土して、小木海洋博物館にその土器のかけらが陳列されているそうです。

宇佐美貞夫さんの「黄金と流刑の島 佐渡」によると



高句麗から製塩と軍団編入が目的の渡来人集団が、大和政権によって能登経由で送り込まれたと思われる。

九学会報告書では、「台が鼻古墳は、高麗の人々の墳墓とみなすことも可能であろう。海上遙かに故国を臨む地を選んで建墓されたのではあるまいか」と述べている。台地上の古墳は、概ね展望の利く地にあり、死んでも眺めのよいところに葬られたいという人類の、昔も今も変わらない心情からであろう。



という記述があります。

佐渡に数多くある灯台の中でも、古墳跡に建てられたのはここだけでしょうか。
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なおさんへ (かんりにん)
2006-01-17 06:22:54
おはようございます。



初の登場のことですが、見ていていただいて

感謝です。これからもよろしくです。



今回は素晴らしい解説がついています。

今後も足りない部分を補っていただけますと

ありがたいです。



古墳のことは全く知りませんでした。佐渡っ

て、こう言うところの説明書きをもっと整備

すべきといつも思います。良いもの持ってい

るのに..。



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関心事 (佐渡の本間)
2006-04-20 07:15:33
 はじめまして。

「台が鼻」を検索していたら「高句麗」文字に興味があり、開いてしまいました。『佐渡広場』を開設しています。よかったら、ご覧ください。http:blog.livedoor.jp/challengersglory1/?blog_id=1461583
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関心事 (佐渡の本間)
2006-04-20 14:05:24


先程、アドレスが違って投稿していました。

今度は大丈夫?



http://blog.livedoor.jp/challengersglory1/?blog_id=1461583
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佐渡の本間さんへ (かんりにん)
2006-04-20 21:37:46
こんばんは。 コメントありがとうございます。



佐渡からのコメントをいただけるのは

何よりであります。今後ともヨロシク

であります。



なお、後でいただいた方へはジャンプ

できました。そちらへも、もちろんお

邪魔いたします。



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