二見神社の社叢(しゃそう)は神社に至るまで続く。先を急ぐと息が切れるのでゆっくり歩くのがよい。急な階段を登っていく途中、樹木が切れるところで眼下に二見港や町の様子を見下ろせる場所がある。天気がすぐれないせいで暗い感じがあるが、天気の良いときには見晴らしが良いので、すがすがしい景色を楽しめよう。
なお、この二見港であるが、真野湾にあっては最大の港と言って良いであろう。火力発電所もそうであるが、埋め立て・造成された敷地も広く、小さな漁村には無い設備を伴っている。
▼神社から見下ろした二見
階段を振り返って
二見港①
二見港②
<写真撮影:2005.12.3> 2006年 地理の部屋と佐渡島。
1618年建立だそうですから古い歴史ですね、
それ以来人々に信仰されてきたのでしょうね。
一息も二息の入れて上りつかなくてはなりませんね。
配祀・承久(1219~1223)帝奉女官右衛門佐御局とありますね。
順徳天皇?仲恭天皇?
鎌倉時代、承久の乱、習ったはずですがすっかり忘れている日本の歴史ですので少し広辞苑を引いてみましたが・・・
コメントありがとうございます。
>順徳天皇?仲恭天皇?
順徳さんの方です。
承久の乱関係で、後鳥羽上皇は隠岐へ
順徳上皇は佐渡へ流されました。
島内各地に順徳さんゆかりの遺跡・史
跡が残っています。最も知られている
のは真野御陵でしょう。順徳さんのお
墓です。
ずいぶん古い時代に亡くなられたとは
言え、さすがもと天皇です。ちゃんと
宮内庁管理となっています。
承久の乱そのものについては、1221年
後鳥羽上皇の北条義時追討の院宣に端
を発しますね。動揺する幕府方御家人
たちに政子が一世一代の大演説をし、
御家人たちの結束を高めたことで知ら
れています。その効果でしょうか?
乱そのものの鎮圧にはさほど時間を必
要としなかったようです。
そんな勢いも、半世紀たったのちの元
寇では、やられっぱなし。天候頼みの
戦となりました。西国の御家人たちの
奮戦があってのことでもありましたが、
戦後処理の誤りで、幕府の求心力は急
激に低下していったと聞きます。
「功名ゲ辻」で出てくる一豊の妻千代は1617年没と
NHK大河ドラマのHPにありました。
世は家康から二代秀忠の時代に移った頃のようです。
400年前かぁ~。なんかずいぶん昔の話であるはず
なんですが、承久の乱が800年前ですから、比較的最
近のことのようにも..。二見神社の建立された頃の
ことにちょっと思いが重なりました。
歴史を振り返るとは実に愉快なものです。裕さんや
4126nkさんからはいつもそう感じますが、色々な視
点・観点でものを見る楽しみを感じさせていただい
ています。
ちなみに、千代からは「はげまし」、一豊には「ぐちょく」
というキーワードが重ねられているようです。
「愚直なまでの誠実さ」。
大好きであります。
「それを理解し、励ます妻」。
これもまた大好きです。
歴史から人の生き方を学ぶ。良い手本が得られ
そうな気がいたします。