地理の部屋と佐渡島

2009年4月よりの佐渡単身赴任があけ、2014年4月より長岡へ。別れが絆をより深めた。今後ともよろしくお願いします。

川茂の太郎杉

2005年03月05日 08時12分58秒 | 佐渡地理
川茂の太郎杉について、展望台にあった説明書きより。

「太郎杉の切り株」  太郎杉は江戸時代の末期に伐採されたと伝えられ、次のような民話が語り継がれている。

 「大杉山」に聳える太郎杉は子守をしていた地元の娘に恋をし、若者の姿となって娘と逢瀬を重ねていた。殿様の命令できられることとなった前夜、太郎杉は「俺は剪られてもその場を動かんが、お前が来れば動く。それでもらえる褒美で暮らせ。おまえは俺の子供を何万と宿している。山で用をたすと種が出て、杉の木が生えて杉山になる」と娘に言い別れた。太郎杉は切られたが、人々がどんなに頑張っても動かず、人々は娘に助けを求めた。太郎杉は娘の声ににあわせて運ばれ海を越えていった。その後川茂には太郎杉の子が広がり杉の産地として栄えた。

 太郎杉は大きすぎて佐渡の樵では手が出ず、能登から来た樵によって伐採された。並の長鋸では短く、地元の鍛冶屋が継ぎ合わせて一本とした。幹に遮られて相手が見えず、間に合図する者がいて調子を合わせた。伐採には半年の月日がかかった。切り株に莚八枚を敷き、樵十三人が輪になり酒盛りをした等、大きな杉であった事が語り伝えられている。

太郎杉株の大きさ
長径三間(5.4m)
短径二間(3.6m)
幹周八間(14.5m)
推定樹齢(2100年以上)
1935年 川茂大杉山・太郎杉切株踏査書より

 太郎杉は川茂杉と呼ばれる萌芽力・生命力の強い品種で、麓の五所神社には現存する最大の川茂杉(幹周5.2m 樹高30m)が神木として残っている。この展望台により切株を保存し、赤泊村が大杉の産地であったことを長く伝える。 赤泊村

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