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佐和田は北東に口を開けている両津湾とは反対側。真野湾に面した町である。両津、小木、赤泊が海の玄関口としてであるとするなら、ここは陸上交通の面での重要性がある。島内にあっては、最大の商業地区で、今日郊外型の商業・サービス系大型店やチェーン店が軒を連ね、島内各地から買い物客を集めている。
さて、佐和田はかつて河原田と呼ばれていた。佐渡市佐和田支所のHPの沿革には下記のように書いてあった(前後略)。
中世に入りこの地を支配したのは相模からきた本間氏で、のち
河原田城(獅子ケ城または東福城ともいう)を築城し、地頭とし
て勢力を得ていましたが、上杉氏の所領となってから徳川幕府の
初期までは、佐渡一国の治府が置かれました。
そんな佐和田のマンホール蓋のデザインだが、松は真野湾奥の砂浜に沿う松林をさしている。かつては遠浅の海で、目の細かい砂に覆われていた水辺に桜貝がいた。以前と比べるとずいぶん砂浜は後退してしまい、今では桜貝がいるかどうかもわからぬが、それでもかつての名残を若干だが留めている良い浜だ。
また、同地区は歴史的文化財にも恵まれている。以前紹介した実相寺や妙照寺を始め、建築や絵画等々様々な市指定文化財がある。佐渡通にとってはなかなかの場所となっている。
<写真撮影:2005.12.3> 2005年 地理の部屋と佐渡島。