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昨年末撮影した写真。実家を出てすぐの通りから両津湾を望んでいる。私は高校時代までこんな風景を見て育った。いつもというわけではないが、海が時化るとよく付近を航行する船舶が湾内で時化の収まるのを待つと聞いた。地方の入り江のにぎわう一時の風景。
先日、この風景を共に見て育った友が亡くなった。山の事故にて。あの頃の彼にそんな趣味があったとは知らなかったが、こよなく山を愛していたものと推察する。棺の中には「岳人」が添えられていたという。彼は長い旅に出た。冥福を祈る。
【附記】
当サイトへお越しの皆さん。今回は大変失礼ではありますが、友人への追悼の思いを込めています。
自分もそうですが、自然を好み、自然とともにあることを喜ぶ日々です。ただ、時には相当のスキルがあっても、不慮の事態というものがあると言うことを改めて感じました。今回はこんな私的記事になってしまいましたが、ご容赦を..。
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写真撮影:20056.12.4 佐渡市(旧両津市)加茂歌代
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2006年 地理の部屋と佐渡島 yokoso_314
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http://blog.goo.ne.jp/dachasnowman/
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故郷の風景は故郷の友と一緒にありますね。
私も小学校時代の幼馴染を何人か病気でなくしていますが、残念です。
心の中では、小学校時代の可愛らしかったあの頃の友が、故郷の懐かしい風景の中に生きています。
今は彼らの冥福を祈ると共に、彼らの分まで長生きしてやろうと思っています。
ある意味、日が経つにつれ、ことの深刻さというか、
起こったことに気持ちが向き始めた間があります。
少数とはいえ、かつての友達はセレモニーホールへ
と出向いています。
ずいぶん長いこと会っていない友でしたので、思い
での中には高校時代までの顔しかありません。
さて、今年の冬も雪山で大勢の方々が命を亡くされ
ました。自然をこよなく愛しているからこそ、その
厳しさの中の美を知っているとも言える方々です。
こんなに自然派であったと知っていたなら..。
また、男道記さんも友を無くされているということ。
より近しく、思い出を共有するものであるなら、その
死は何とも言えぬ悲しみを生みます。
>彼らの分まで長生きしてやろうと..
せめてもの思いですね。
私もそう思っていました。
こうした話には、時間をおいて・・・とは思いましたが、言葉が出ません。
年齢を重ねるごとに、こうしたときの気持ちは大きく、深いものになるのかも知れません。
「思い出をありがとう!」そう言いながら自然の懐に入っていきたいものです・・・。
我々も、まもなく行く「道」ですから・・・。
殉職という言葉がありますが、自分に殉職したのだ
と言いたいものです。最後を迎える場としては劇的
でありますが、残されたご家族のことを思いますと、
いたたまれません。
いっぽう、当方は今の自分でしたら惜しげもないも
のと自分を評価しますが、やはり家族が居ますので、
責任だけは全うしなくちゃと..。
人が生きると言うことはそんなことの狭間の中での
ことではないでしょうか..。今はただ、時間の経
過を待ちます。
どんな形であれ、おおせの通り、間もなく行く「道」。
なんとなく悲しく。ですが、勇気も湧く言葉でした。
GW。佐渡にいる友と取材をしたいと思っています。