地理の部屋と佐渡島

2009年4月よりの佐渡単身赴任があけ、2014年4月より長岡へ。別れが絆をより深めた。今後ともよろしくお願いします。

寺泊散策 「本間精一郎生家跡」

2005年06月11日 05時49分08秒 | 新潟地理歴史
去る6月9日のこと、佐渡汽船での取材の際に寺泊の町中を少し歩いた。釣りなどで時折来ることがあるので気にはなっていたが、写真の看板前に初めて立った。よく見ると勤王の志士とか書いてある。
何かいわれがあるとはいっても今では家屋もなく松の木が一本。単なるさら地となっている場所であるが、看板には以下のように記されていた。

勤王の志士 本間精一郎

本間精一郎の生家は、酢醤油の醸造業を営む(かくほん)という屋号の豪商でした。燃えさかる大志を胸に秘め、二十歳の時

曇なき真澄の月の心もて
 あわれ雲井に名を照さばや

の一首を壁に書き残し京都に旅立ちました。いつしか尊攘派浪士の中心的存在となりましたが、高木は風に逆うのたといで間もなく同志の誤解を招き、土佐藩士等の凶刃に倒れました。ここはその生家の跡であります。   寺泊町


二十歳の時..。大志を抱き..。高木は風に逆らう..。幕末という時代が有意な若者を育てたのか..。ついつい今の時勢をかえりみてしまった。

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