地理の部屋と佐渡島

2009年4月よりの佐渡単身赴任があけ、2014年4月より長岡へ。別れが絆をより深めた。今後ともよろしくお願いします。

10.23新潟県中越地震34「小千谷市とはこんな町」

2004年11月14日 08時33分36秒 | 新潟県中越地震
へぎそば、小千谷縮布、牛の角付き、そして錦鯉のふるさと。信濃川流域の河岸段丘の美しい町。

 小千谷市はとても魅力的な町である。小さな千の谷とは良く言ったもので、信濃川が山間部から平野部に出ようと言う谷口に位置している。そのため、市には多くの谷、そして村がある。

 旭橋西詰め(川を挟んで西側、つまり左岸側)から眺める越後三山(八海山・越後駒ヶ岳・中ノ岳)も美しい。あらためて小千谷の魅力を書きつづろうとする時、きりがないくらいの魅力を持っていることにあらためておどろく。かつて6年間この町で勤務したが、大好きな町である。

 豊かな自然に加え、歴史と伝統産業の息づく町。小千谷小学校にほど近いところに慈眼寺がある。戊辰戦争の際、長岡藩家老河合継之助が官軍指令岩村と談判した場所として知られる。奥羽越列藩同盟にくみしていた長岡藩はその後激しい戦争を繰り広げることとなった。その際の戦場の一つに朝日山がある。皆川優太ちゃんが救出された現場の背後である。

 冬は雪深いが、おかげで縮み・錦鯉・魚沼コシヒカリは豊かにはぐぐまれる。そんな小千谷が生んだ詩人に西脇順三郎がいる。避難所となった新潟県立小千谷高等学校の校歌は、西脇の作詞による。その歌い出しはこうである。「信濃川 静かに流れよ わが歌の....。」

小千谷市の詳細については下記の市の公式サイトをご覧いただきたい。
http://www.city.ojiya.niigata.jp/kanko/kanindex.html

なお、ワープロ等で小千谷を入力する際は「おぢや」である。「おじや」ではないので注意が必要。


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