震災後二年続いた大雪。この冬の雪は四月訪問の際まだまだ残っていた。五月も半ばとなった昨日(5/14)はさすがにほとんどが消えていた。既に桜は散り、これから一挙に初夏へと向かうはずである。
集落の中心部に小学校(半蔵金小学校)であった建物が残っているが、その脇に半蔵金中学校跡の石碑があった。崩れた家屋の残骸が背後に写る。この残骸もあれから二度目の春を迎えた。
これから本格的復旧工事が再開するであろうし、田植えもこれから本格化する。色々な意味であわただしくなるが、半蔵金は春本番を迎えている。
附記:実は既にアップしようとして準備はしていたが、なかなか紹介できずにいた。写真のせいである。心の中にジレンマがあるからだ。やはりとの思いで掲載した。
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写真撮影:2006.5.14
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2006年 地理の部屋と佐渡島
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http://blog.goo.ne.jp/dachasnowman/
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あまり気乗りがせず、撮影し、記事の
タイプをしてはいましたが、今日に
なってしまいました..。
破壊された家屋の撮影はしのびない物
です..。
そのような思いになるのでしょうね。
でも、写真撮影や画像をアップするのに気が引けても、
公開したことによって全国の人に中越の現状を伝え
まだ中越は終わっていないということを発信していくのは
とても重要だと思いますよ。
メディアがほとんど発信してくれない現在、
こういった一個人・一団体からの情報発信が
全国の方には数少ない中越を知るチャンスですので
管理人さんのやられていることはとても意義のあることと思います。
そして、そういった情報発信が
一日も早い復興のためにはより重要になっていますので
ぜひ前向きな気持ちを持ってください。
のどかな春の日。
でも、その中に見えるのは崩れ落ちたトラゾウの家。
つらい・・・・
当方の震災関係の両巨頭に同時に出てこられて、
答える言葉がないくらい混乱しています。
いかがいたしましょう。知らせるも大事。
その姿をさらす不躾(ぶしつけ)も忍びなく。
ただ、地震、M6~7,震度6~7で、中山間
部にはこの様な被害とだけは..。
気を遣うとか、配るとか、利かすとかあります
けど、どうやっても自分に納得がいきません。
だから、いつもジレンマ。
励ましを頂くのが、この際唯一の救いなんです。
日が経つと、より人に近い場所を撮っても、紹
介するのにはばかるものを感じ始めています。
ついこの間の半蔵金は、良い風景でした。傷は
もちろん残っていますけどね。一年半経ってこ
れしきか..、というくらい変わってもいませ
ん。
もう、二度目の春ですか・・・。時の過ぎるのは速いものです。こうした絵はどんどん出していただく方がよいと、私も思います。メディアが当てにならない時代ですから・・・。
以前、半蔵金からたなすに向かったとき
田んぼも崩れていたり、
家も山も崩れていたり・・・
山古志の祖父母の
田代の田んぼも
もう作付けできないそうでした。
とむふーるさんに同感です。
これからも発信を・・・。
ありがとうございます。
単なる野次馬にならぬよう
気をつけながら..。
と考えています。
祖父母の住まっていたのですか?
山古志ですが、それなりの意図を
持った集団を編成して、山古志支
所に通行許可がおりないものかと
掛け合いました。
しばらく考えておられたようです
が、結局はダメでした。
理由は簡単です。これから本格的
な復旧作業が開始。道路は工事用
車両で混雑。ということで、やは
り居住者とそちらが優先されるの
で..、と言う返事でした。
山古志はまだまだ震災を引きずっ
たままです。興味本位にならぬよ
う、周辺部の取材は継続しなく
ちゃと思っています。