何時も、誤字脱字でご迷惑をお掛けしている私ですが、分かっていても、もう一度見直すという習慣が身に付かず、つい、「マアいいか!」と放置してしまいます。一応、反省はしているのですが、やはり、生来の好い加減な性格が影響しているようです。
もう一つは、これを書いているソフトのシーモンキーのエディターの漢字変換の影響もあります。あの何かと批判の多いIMEが途轍もなく素晴らしく思える程です。とは言いながら、無料なのでそんな贅沢は言えず、じっと我慢の子です。
そんな好い加減な私が、思わず笑ったのが、何時もの【産経抄】のタイトルでした。亡くなれたドイツのコール元首相の記事です。
産経ニュースより 2017.6.19
【産経抄】コール元獄首相とドイツ国民の幸運
52歳という若さで旧西ドイツの首相の座についたヘルムート・コール氏の政治手腕について、欧米メディアは常に疑いの目を向けていた。「テレビに首相が出演するのを見ると、誰もが自分でも首相が務まるのではないかと思ってしまう」。ここまで書いた新聞もあった。
▼アフリカ諸国を訪問中のコール氏が、子供たちに「学校で何を教わっているの」と尋ねた。「フランス語とドイツ語、それにアルジェブラ(代数)」。アルジェブラをアフリカのどこかの国の言葉と勘違いしたコール氏は、こう聞き返した。「アルジェブラでは首相のことを何というの」。コール氏の外国語べたをからかっている。こんなジョークを集めた本が、何冊も出版された。
▼転機となったのは、1989年11月9日のベルリンの壁崩壊である。ポーランドを訪問していたコール氏は、すぐにベルリンに戻って、熱狂する東ドイツ市民に呼びかけた。「われわれは一つの国であり続けるだろう」。それから1年もたたないうちに、ドイツ民族の悲願である東西再統一を成し遂げてしまった。
▼メディアの評価は一転する。「統一首相」となったコール氏を、ドイツ帝国初代首相のビスマルクになぞらえるようになった。コール氏は身長193センチ、体重130キロ、ビスマルクもやはり巨体であったという。
▼16年の長きにわたって国を率い、熱烈な欧州統合の推進論者でもあったコール氏が先週、87年の生涯を終えた。「強運の政治家」は晩年、不正献金疑惑の批判にさらされ、夫人の自殺という悲劇にも見舞われた。
▼訃報を受けてドイツ国内では、偉業をたたえる声で満ちている。歴史の転換期にコール氏が首相を務めていた幸運を、多くの国民がかみしめているようだ。
きっと、産経さんも慌てているのじゃないでしょうか。これをアップする頃には、当然、修正されているでしょう。
それにしても、「コール元獄首相」は、どう読むのか迷いました。全文を読んで、やっと、ああ、「コール元独首相」かと解ったのですから、私の頭の悪さも相当なものです。日頃から、好い加減な性格で、誤字脱字を真剣に修正しないだけのことはあります。
何となく、お仲間が出来たようでちょっと嬉しくなりました。
それにしても、膨大な記事のたった一つの誤字を、こうやって取り上げられるのですから、やはり、プロの仕事は大変です。
翌日には、「コール元首相とドイツ国民の幸運」と訂正されていました。獄を抜くとは予想外でした。