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☆=☆☆☆☆☆
◎=☆☆☆☆
◇=☆☆☆
△=☆☆
▽=☆

コンテイジョン

2021年12月15日 01時27分24秒 | 洋画2011年

 ◎コンテイジョン

 

 スティーブン・ソダーバーグはやっぱりすごかった。

 つうか、疫病に対するなんとまあ的確な予測だろうか。

 現代社会における疫病の蔓延とそれにあらがう医者や庶民たちの反応と対処法をこれだけ正確に言い当てて描いちゃうってのは、いやまじ、たいしたもんだ。人間がどうしても棄て切れない姑息な態度、つまり、自分と関係者をついつい優先しちゃうっていう本能にもにた行動をいやっていうほど見せつけてもくれる。また、それに対する正義感めいたものも見せてきたりして、そうしたことが上手に配分されてる。打楽器を主体にした単調で不気味なクリフ・マルティネスの音楽もまた好い。

 ちょっと驚いたのは、マット・デイモンの奥さんをやったグウィネス・パルトローで、世界で最初の罹患者になるんだけど、浮気して伝染病をうつされていともあっさり死んじゃうどころか解剖までされて頭の皮をめくられて脳まで掻きまわされて、その血がエリオット・グールドのマスクにまで撥ね飛んじゃうとかって、よくもまあこんな役を承知したもんだ。情けない話だけど、邦画の女優ならまちがいなく演ってないよ。

 それと、ケイト・ウィンスレットの貫禄はどうよ。どんどん凄みを増してくるね。

 ところで、ぼくはこの映画は観たとばかりおもってた。ていうより、バスの中で患者の症状が出て、咳込むと同時にウィルスが飛び散っていくカットがあるっていう憶えだったんだけど、ちょっと違ってた。あれれ?っておもった。そのとき、これ、もしかしたら初見かもしれないぞと気がついた。

 だけど、そうだとしたら、ぼくが前に観た伝染病が世界各国に瞬く間に広がる映画はなんだったんだろう?

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ドント・ブリーズ

2021年12月14日 00時25分20秒 | 洋画2016年
 ◇ドント・ブリーズ

 廃墟だけでロケーションしたとかっていう、なんとも低予算なスリラー映画なんだけど、まあ、継父の横暴に我慢できない女子ジェーン・レヴィが幼い妹と共にカルフォルニアへ逃げ出す資金稼ぎに、イラク戦争で失明している軍人スティーヴン・ラングの家へ窃盗に入ろうっていう設定は「わかるんだけど幕引きが難しいだろう」っておもってたら、おもわぬ展開が待ってた。

 そうなんだ、失明した軍人に娘がいて、その子をひき逃げで失ったっていうだけじゃなく、そのひき逃げ犯の女の子フランシスカ・トローチックを監禁して、自分の精子を人工授精させてまた娘をもうけようとかいうとんでもないことをしでかしてたんだよっていう、ものすごい展開だ。

 これは、なかなかだわ。
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殺人の追憶

2021年12月13日 00時42分59秒 | 洋画2003年

 ◎殺人の追憶

 

 華城連続殺人事件とかいうのは韓国ではかなりよく知られた連続婦女暴行殺人事件らしいんだけど、まるで知らなかった。

 しかし、ソン・ガンホは上手だな。気がつくとこの人の出た映画はよく見てるみたいなんだけど、ごく普通のおじさんみたいなところがリアルなんだろうな。邦画はこうはいかないんだよね。

 ソン・ガンホはともかく、雨の日に狙われる女性はみんな赤い服を着ているっていう設定は、なんだか『駅―station―』をおもいだした。もしかしたら、年代的にいって、赤いスカートを烏丸せつこが履いてたのは、この事件が倉本聰の脳裏をよぎったんだろうかとかっておもっちゃったわ。

 ポン・ジュノの作品は『グエムル―漢江の怪物―』と『母なる証明』とかを観てるけど、うん、ちからがあるよね。

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ジョーカー

2021年12月12日 00時52分18秒 | 洋画2019年

 ☆ジョーカー

 

 なるほど。

 ゴッサムシティの80年代である意味が必要なのかどうかは『バットマン』のファンが楽しめるかどうかってだけで、おまけのような気もしないではないけれど、認知症の始まっている母親の妄想なのか真実なのかはわからないけれど、もしも真実であるとすれば、ウェイン家で女中をしていたときに孕んだことになり、それはつまり心優しき道化師アーサー・フレックは、ブルース・ウェインと異母兄弟ってことになっちゃうんだよね。

 まあそれはそれとして、トッド・フィリップスの演出はなかなか見事だったけど、リアリティをもたせたのはやっぱりホアキン・フェニックスの演技だよね。邦画界でここまで徹底した役作りをする役者がいたらお目にかかりたいわ。でも、ふしぎなことに、アメリカでのバットマンっていうのは不動の人気なのかな。

 ところで、緊張すると発作的に笑い出してしまう病気ってのはトゥレット障害っていうんだね。知らなかったけど、緊張するとどもったり、うなったり、ちょっと異様な咽喉の音を発したりするのは、精神的な抑圧つまりストレスで誰にでも起こるもんだとおもってたんだけどな。

 しかし、アーサーの気持ちが嫌というほどわかるからか、どこまでも哀しいな。

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ランボー ラスト・ブラッド

2021年12月11日 16時12分22秒 | 洋画2019年

 ◇ランボー ラスト・ブラッド

 

 きわめて残念だった。

 観なけりゃよかったとすらおもった。

 もともとランボーはベトナム帰還兵の心の闇についての物語で、結局のところ、その悪夢から解放されることはないっていう悲劇なんだが、それでもアメリカの理想を求めていくっていうところで、ときにたったひとりで叛乱したり、ベトナムへ乗り込んでいったり、イラクにまで辿り着いたりして、そこで自分が戦うのはアメリカのためではなく自由のためだったんだって自覚したのがビルマだったていう筋書きだったはずが、なんとも、個人的な戦いを最後にしちゃうのはどうよ。

 イヴェット・モンレアルが父親を探して、それがもとで誘拐されて、売り飛ばされて、麻薬漬けにされて、売春婦として悲劇的な境遇に置かれたばかりか、ランボーが捕まって頬を斬られたときにさらに見せしめとして頬も傷つけられ、結局、救出されたものの、ランボーの車の中で悲劇を迎えることで、ランボーの闘争心と復讐心が燃え上がるって展開はわからないでもないんだけど、ランボーを助けることになった妹を拉致された新聞記者パス・ベガとの関係がいまひとつ中途半端なままいつのまにやら忘れられるってのは、あかんだろ。

 これは撮り直しだな。

 スタローンはこういうことがよくある。いやまじ『ロッキー5』とおんなじだ。

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1917 命をかけた伝令

2021年12月10日 19時25分20秒 | 洋画2019年

 ◎1917 命をかけた伝令

 
 すごいわ。物語そのものはこれといった面白さはないけど、もうなにが凄いってカメラワークに尽きる。
 
 全編ワンカットみたいになるように撮られとかいうのはもしかしたら日本だけの謳い文句かもしれないんだけど、そんなことはどうでもよくて、たしかにカメラに撮り続けてるように見える。
 
 とはいえ、少なくとも塹壕の地下に入り込んでゆくときの暗転、塹壕で犬の干し肉と鼠が落ちてきた瞬間の爆発、川沿いの廃墟で真正面から撃ち合って階段から転げ落ちた際の失神、川へ飛び込んで滝壺へ落ちた時の水没の4回のテープチェンジはっきりわかる。
 
 もちろん、それらのほかにも数か所、カメラを止めて繋いだところはあるはずなんだけど、そうだとしても、いやまあよくもこれだけエキストラを演技指導して、ロケセットを縦横に使いまくって、ステディカムなのかクレーンなのかドローンなのかまったくわからない、池や川や塹壕や人間の頭の真上を通過して撮影できちゃうのはどういうことだろう?
 
 さらにいえば複葉機が納屋に墜落してきてその搭乗員を助け出すカットはいやまじどうやって撮ったんだってくらい感心したわ。いやまあCG処理なんだろうけど、これは邦画は太刀打ちできんね。
 
 やるな、サム・メンデス。
 
 それにしても、ジョージ・マッケイとディーン・チャールズ・チャップマンの上等兵と伍長のコンビはよく走ってるわ。凄い根性だ。カンバーパッチがちょっとだけのゲスト出演ってのが残念だったけどね。
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灼熱の魂

2021年12月09日 20時47分46秒 | 洋画2010年

 ☆灼熱の魂(2010年 カナダ、フランス 131分)

 原題 Incendies

 監督・脚本 ドゥニ・ヴィルヌーヴ

 出演 ルブナ・アザバル、メリッサ・デゾルモー=プーラン、マクシム・ゴーデット、レミ・ジラール

 

 ☆レバノン内戦

 オイディプスもかくありなん。

 とにかく、映画を観ていて絶句するということを初めて経験した。

 いや、まじ、凄かった。

 最初、いかにも平和そうなプールである男を観たとき、それと、踵の刺青を観たとき、さらに後の衝撃の事実を知って息を呑む時のルブナ・アザバルの演技がいったいどれだけ見事なものだったかは、実をいうと、ぎりぎりまでわからない。けど、そのあまりにも切なく辛く悲しい衝撃の事実は、あんまり知りたくなかったな。

 舞台がレバノン内戦とかってことすら、すっとんでた。いや、もちろん、その内戦がなければ、祖国が荒廃しなければこんな悲劇は生まれなかったんだけど、でも、すっとんでた。観客のぼくですらそうなんだから、兄と父を探せと遺言された双子の姉メリッサ・デゾルモー=プーランと弟マキシム・ゴーデットが真実を知ったときの絶望たるや、もう言葉で表現することは無理だね。

 いや、そもそも双子ってのも辛いんだけど、ともあれ、ふたりが母の過去を探索してゆく過程と母の回想が上手く噛み合わさり秀逸な筋立てになっているものの、古典的な相姦悲劇は僕にはきつすぎた。凄すぎた。ちなみに、主題歌の「You And Whose Army」はけだるい悲しさに蔽われてるわ。

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アルゴ

2021年12月08日 14時47分35秒 | 洋画2012年

 ☆アルゴ(2012年 アメリカ 130分)

 原題 Argo

 staff 原作/アントニオ・J・メンデス『The Master of Disguise』

          ジョシュア・バーマン『The Great Escape』

     製作/ジョージ・クルーニー グラント・ヘスロヴ ベン・アフレック

     監督/ベン・アフレック 脚本/クリス・テリオ

     撮影/ロドリゴ・プリエト 美術/シャロン・シーモア 音楽/アレクサンドル・デスプラ

 cast ベン・アフレック アラン・アーキン ジョン・グッドマン ブライアン・クランストン

 

 ☆1979年11月4日、イラン過激派、米大使館占拠

 どうしてこの話が18年間も正式に公表されずにいたのかはわからないけど、イランがこの映画を「アメリカによるプロパガンダだ」と発言し、イラン人を不当に冒涜していることについて提訴する構えだとかいう報道を読んだり、映画のラストでかなりカナダに対して気を使っているのを観たりすると、なるほど、たかが映画なのに、されど映画ってわけね~とかおもったりする。

 いつもいうことだけど、映画と現実はちがう。

 ベン・アフレックが監督したのは、現実に大使館占拠と潜伏と脱出を体験した職員たちへのインタビューと、ベン・アフレックが演じたCIAの脱出専門家であるトニー・メンデスの証言による事実を、あたかもすべてが真実であったかのような物語を映像化したものだ。

 現実は、映像作品になったとき、真実ではなく映画になる。

 だから、ここで描かれていることは事実と異なるから云々とかいう話は、ちょっとね…。

 だいたい、佳境に入ったときの空港の場面で、飛行機と官憲とのチェイスがあるけど、現実にあんなことがあったら、即刻、イラン政府はアメリカ政府を糾弾するでしょ?

 ただまあ、あのチェイスは、それまでの緊迫感をだいなしにしてしまいかねないものだった。才能あるベン・アフレックがどうしてB級活劇をぶちこんだのか、よくわからない。映像的にはたしかに派手な場面になるけど、なんだか作品の内容からすると異質な感じがしないでもなかった。

 ちなみに、作劇について、こんな対比ができる。

 たとえば『ゼロ・ダーク・サーティ』みたいに、最初から最後まで主人公の目線だけで物語を進行させると、襲撃したりされたりする場合、敵の視線が入ってこない分、観客の不安感が増し、じりじりした緊迫感に包まれる。一方で、この作品みたいに、たとえば、空港を脱出するとき、イラン側の視線を交互に絡めてくると、主人公たちが追い詰められているのを観客が観、それによって緊張と焦慮が一挙に増大するものの、見えないものに対する不安感はなくなる。

 どちらの手法が良いとかいう話ではなく、作品によってサスペンスの盛り上げ方は異なるってことだよ。

 なのに、なんで飛行機と車輛のチェイスをするかな~。演出力の乏しい監督が「派手な画面にしないと盛り上がらねーだろ」とかいってるみたいで、アメリカ大使館が襲撃されたときのドキュメンタリータッチの見事な演出が飛んじゃうよ。ただ、チェイスを除けば、非常におもしろかった。

「アメリカ合衆国は、きみたちの映画の製作を認めよう」

 という台詞は、なんとも傑作におもえた。

 CIA製作によるニセモノ映画を合衆国政府が正式に許可するなんて、なんかいいじゃん。

 実際、ここまで映画的な事実が存在したのかどうか、ぼくにはわからないけど、アホみたいなことをクソまじめに考えて、命を賭けて実行するというのは、実はとっても洒落ていることだとおもうんだよね。

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ゼロ・ダーク・サーティ

2021年12月07日 00時30分00秒 | 洋画2012年

 ☆ゼロ・ダーク・サーティ(2012年 アメリカ 157分)

 原題 Zero Dark Thirty

 staff 監督/キャスリン・ビグロー 脚本/マーク・ボール 撮影/グレッグ・フレイザー 

     美術/ジェレミー・ヒンドル 音楽/アレクサンドル・デスプラ

 cast ジェシカ・チャステイン ジェイソン・クラーク ジェニファー・イーリー

 

 ☆2011年5月2日0時30分、Navy SEALs、アボッターバード襲撃

 オサマ・ビン・ラディンが、米海軍特殊部隊(Navy SEALs)によって殺害された、というニュースを聞いたのは、いつだったろう。なんだか、ある日、唐突に発表されたような気がする。よくおぼえていないんだけど、テレビを観ていたら、いきなり、それも淡々と報道された。

 最初は、疑った。なんだってこんな突然に発表されるんだろうと。

 ニセモノじゃないのかなともおもったし、真実だとしたらなにか裏があるだろともおもった。

 アメリカが隠密裏に調査しているのは見当がついていたけど、まさか、主権を持った国家であるパキスタンに夜間いきなり進攻するとはおもわなかった。いったいなにが起こったんだろうともおもったけど、これでひとつのケリがついたんだろうなあとは、おぼろげに感じた。

 あとになって、オバマ政権の中枢にいる人々が、ホワイトハウスでビン・ラディン襲撃の一部始終の中継を観ていたと報道されたとき、そうだよね、大統領の陣頭指揮による徹底した秘密作戦だったんだよねと感じたものだ。

 で、この映画なんだけど、すこぶる、おもしろかった。

 アメリカとかでも、批評家の受けはものすごく好く、完璧な映画と絶賛されているらしい。

 とおもっていたら、どうやら、それなりに賛否両論あるらしい。どういうことかといえば、プロパガンダという問題だ。そのせいで、大統領選挙直前だった封切が遅らされたらしいんだけど、すぐあとになってオバマのプロパガンダではないと批評家たちがまた断言したとか。でも、そうじゃなくて、アメリカ合衆国のプロパガンダじゃないかともいわれているとか。

 根拠がないことはない。

 ビン・ラディンがそもそもすでに死んでいて、治療したが目撃したとかいう説があって、死んでいる人間をどうやって襲撃できるんだ、だから死体はまったく公表されず、火葬も土葬もされず、水葬されたんだろう、死体があればそこが聖地になるとかいうのはとってつけた理由で、DNA検査をしたことにするためには死体が存在していては困るわけだろう、テロとの戦いを標榜して、莫大な国家予算を費やしてきたアメリカとしては、ビン・ラディンが病死していたなんてことはあってはならないし、かといって、この先ずっと世界の警察となって、テロリストと戦い続けるはもう無理、みたいなことになってきたし、ここらでなんらかの終止符を打たないと大変なことになるから、ビン・ラディンのアジトを発見し、ついに襲撃して、見事に殺害したということにすれば、ラディン一族やサウジアラビアとの関係もぎくしゃくしないですむだろうし、アメリカ市民の留飲も下がるし、正義の為に戦ってきたという大義名分も立つし、なにより、テロとの戦いに厭き、疲れ果ててきたアメリカ合衆国のカンフル剤になるし、そのためにはCIAがずっと内緒で頑張ってきたんだよと報道しなくちゃいけないし、適当な時期に、関係者の証言をもとにするという形で凄まじく面白い映画を製作し、高卒でリクルートされた女性が、CIAの分析官として10年も戦い続け、自分も危機に陥りながらも友達の死を乗り越え、ついに本懐を遂げるという設定にすれば、世の男どもはおろか女性の皆さんも納得してくれるんじゃない?

 てな感じだ。

 こういう批評が出てくるのは当然なことで、どれだけ完璧にちかい出来栄えの映画であろうとも、フィクションとかノンフィクションとか、ドキュメンタリとかいった区別なく、演出やカメラというフィルターが存在するかぎり、たしかに、真実ではなくなっている。

 スタッフが命がけで真実に迫ろうと努力して、それなりの満足を得られたにせよだ。

 だからといって、この映画がすべて嘘っぱちだと断言されても、困る。

 正直、ぼくは、ビン・ラディンがすでに死んだか、この襲撃で殺害されたのか、はたまた襲撃されたのは影武者で、依然として生存し、テロ活動の指揮をとっているのか、そのあたりのことについては、なんの知識もないから、なんともいえない。

 ただ、ひとつだけいえることは、くりかえしになるけど、この映画はめちゃくちゃおもしろかった、ということだ。

 ビン・ラディンのアジトを再現するなど細部にわたった絵作りも見事だったし、最初から最後まで緊迫と昂揚を維持させる不気味な低音の音楽もまた凄いし、襲撃場面の撮影にいたっては、赤外線暗視スコープをカメラに取り付けたような絵もさることながら、どうやって照明したんだろう、デジタルカメラの凄いやつはライトなしでも大丈夫なわけ?

 とか悩んでしまうような新月の夜の場面には、ずっと首を傾げながら驚き続けてた。

 けど、この映画は、なにが優れているかといって、アメリカ合衆国の戦いを、ひとりの女性の戦いに置き換えてしまったことだ。映画のすべてを、ジェシカ・チャステイン演じる分析官マヤの視点で描いている。だから、しょっぱなの2001・9・11の場面は、真っ暗闇の中に実際の声だけで表現された。だって、そのとき、彼女はまだ高校生で、テロの現場にはいなかったんだもん。

 彼女が実際の現場を目撃するのは、現地に赴任してからのことで、だから、延々と展開される拷問という現実にもおもわず眼をそむけてしまうわけだ。この拷問の場面は、やっぱり一部で問題にされたらしいけど、実際に拷問が行われたとかどうとかいうのではなく、この映画では必要だったという、ただそれだけのことだ。観客や批評家が「こんなことは現実ではない」とか「真実はちがう」とかいうけど、それって、なんだか違うんじゃないかな~とおもったりするんだよね。

 原作はほんとはこうじゃないんだよ~と知ったかぶりするのとおんなじなんじゃないかと。

 だって、映画は独立したひとつの作品で、そこに表現されている世界はその映画のための世界にすぎないんだもん。

 だから、この作品では、9・11はビン・ラディンの命令によって為されたものだし、主人公たちの身にも降りかかってくる自爆テロは、ラディンによる攻撃だと解釈されるし、パキスタンの主権を侵害するような越境襲撃と殺害も実際におこなわれたとされる。

 実際にあったかどうかではなく、それらの行為と行動はこの映画において真実なんだよね。

 まあそれはさておき、拷問から眼をそむけ、机の上の埃を気にし、発言にも自信がなかった彼女は、徐々成長してゆくわけですよ、友達が殺されたり、現場がちっとも動かなかったりすることで。やがて、この砦のような建物にビン・ラディンは100パーセント隠れてると断言するわけです。つまり、この映画は、ジェシカ・チャステインの眼をとおしたひとりの女性の成長譚なんだよね。

 だから、10年という歳月を、ひたすらひたむきにビン・ラディンを殺すことに費やした彼女は、それに成功して、おもいもよらず有能で重要な人物になってしまったにもかかわらず、自分がこれからなにをすればいいのか、自分はいったいどこへ行けばいいのか、まったくわからないまま当惑し、自分の置かれている空虚さを実感することになるんですよ。

 いや、まあ、もしも、この作品が、アメリカ合衆国の依頼により、CIA指導のもとに製作されたとしたら、ホワイトハウスの面々を一度も登場させなかったのは、監督の意図かどうかわからないけど、ジェシカ・チャステイン演じる一個人を追ったのは、見事だったとかいいようがないです。

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トゥモロー・ワールド

2021年12月06日 22時37分21秒 | 洋画2006年

 ☆トゥモロー・ワールド(2006年 イギリス、アメリカ 109分)

 原題 Children of Men 人類の子供たち

 staff 原作/P・D・ジェイムズ『人類の子供たち』 監督/アルフォンソ・キュアロン

     脚本/アルフォンソ・キュアロン、ティモシー・J・セクストン 音楽/ジョン・タヴナー   

     美術/ジェフリー・カークランド、ジム・クレイ 撮影/エマニュエル・ルベツキ

 cast クライヴ・オーウェン ジュリアン・ムーア マイケル・ケイン クレア=ホープ・アシティー

 

 ☆ありえないだろ、この長回し!

 とおもいきや、これ、複数のカットを恐るべきCGの技術で合成されたものなのね。

 最初見たときは、こんなに長い長回しは無理だって、10分ちかくあるんじゃない?

 とびっくりこき、驚嘆すべき長回しではないかとおもったんだけど、どうやら、イギリスのVFX制作会社がCG合成をしたらしい。

「ハリー・ポッター」や「007」や「バットマン」とかのシリーズを担当してるとか。

 でも、ふ~ん、そうなのか~ではすまされないくらい、すごかった。

 びっくりこいた場面は4つ。

 最初が、クライヴ・オーウェンが珈琲を買ってカフェから出てきたときの大爆発。すんごい爆風と黒煙がカフェから飛び出すわ、向かいのビルのガラスが一気にこなごなになるわ、あれよと見る間に町は大惨事。いや~すごかった。

 次が、クライヴ・オーウェンとジュリアン・ムーアの乗り込んだ車が銃撃されるとき、カメラはずっと車内にあって、途中から車外に出るんだけど、カメラマンのいる場所がないじゃん、まさかずっと吊るしてたとかあり?なんてことを考えても、どうやって撮ったのかまるでわからなかった。口から飛ばしたピンポン玉を口で受けるなんてのは、いくらなんでもCGだよね?とかいうことくらいはわかったけど、燃え盛る車が斜面から飛び出してきてからパトカーに停められるまで、延々1カット。車輛と群衆と車内の演技と、いったいどれだけリハーサルしたんだろと頭を抱えた。

 その次が、めちゃくちゃ寒そうな廃墟の小汚いマットの上で、人類の子を出産する場面。なんだよ、この息の白さとかおもってたら、いきなり出産が始まるし、臍の緒ついてるし。息も赤ん坊もまさかCGとかって、ないよね?とかおもいながらも、まじに演技の途中で生まれるはずもないしと眼を疑った。

 さらに、戦車まで投入される中、バス中の襲撃やビルを駈け上る一連の戦闘シーン。銃撃やら動物の群れやら血しぶきやら砲撃やらはCGだとしても、長すぎるよね。とかっておもってたら、なんと、みんな複数のカットを繋いで、CGをがんがん入れてるとか。

 メイキングを見るまで信じられなかったけど、たしかにそうだった。

 すごいわ~。

 けど、嬉しくなるのはそれだけじゃなくて、キング・クリムゾンの「クリムゾン・キングの宮殿」が使われていたこともそうだけど、そのすぐあと、バタシーパーク発電所とおぼしきビルの空に、ピンクの豚が飛んでるんだよ~。ピンク・フロイドの「アニマルズ」じゃん。だけじゃなくて、ショスタコーヴィチの『交響曲第10番』やマーラーの『亡き子をしのぶ歌』とか、なんてまあ見事な劇伴音楽の数々。

 とはいうものの、ぼくは、文学も音楽も美術も、およそ文化芸術に関して恥ずかしいくらい知識がなく、クリムゾンやフロイドだって、大学の2年生になってようやく知った。それまではプログレのプの字もわからず、いまもよくわかっていないけど、大学の同級生に聞かされるまで、なんのことやらちんぷんかんぷんだった。フォークからニューミュージックに変わっていく時代を田舎で過ごしたぼくにとって、クリムゾンやフロイドは、カルチャーショックに近いものがあった。そんなこともあって、遅ればせながらレコードも買い、CDの時代になってからも、せっせと買い揃えた。ぼくにとって、大学生活の大切な欠片のような音楽になった。なのに、引っ越しをくりかえすたびに、いつのまにやら処分しちゃったけど。

 その友達とも、歩いて5分くらいの町内に住んでいながら、いまでは業種も違うし、30年ちかくもふたりきりで会ったことはない。けど、大学時代に音楽を教えてくれたことのお礼はちゃんといわなきゃいけないなと、ときおり、こういう映画を見るとおもいだしたりするんだよね。

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砂漠でサーモン・フィッシング

2021年12月05日 16時12分54秒 | 洋画2011年

 ☆砂漠でサーモン・フィッシング(2011年 イギリス 107分)

 原題 Salmon Fishing in the Yemen

 satff 原作/ポール・トーディ『イエメンで鮭釣りを』

     監督/ラッセ・ハルストレム 脚本/サイモン・ボーファイ

     撮影/テリー・ステイシー 美術/マイケル・カーリン 音楽/ダリオ・マリアネッリ

 cast ユアン・マクレガー エミリー・ブラント クリスティン・スコット・トーマス アムール・ワケド

 

 ☆イエメンで鮭釣り

 どうやら日本の釣り人口密度は、世界で第一位らしい。そりゃそうだよね。池釣り、川釣り、海釣り、釣り堀釣りと、そこらじゅうに釣りをする所がある。でも、イエメン共和国じゃそうはいかない。なんせ、アラビア半島の南のはしっこにあって、ものすごく乾燥してて、なんといっても、どでかい砂漠があって、しかも川がほとんどない。そんなところで、どうやって鮭を釣るんだ。釣りにまったく興味のないぼくでも、そう考える。だから、この映画を知ったときも、ま、砂漠ってのはイメージで、そこでしょぼい男と知的な女性の恋愛物なんだろなあ、とか、勝手におもいこんでいた。

 ところが、まるでちがった。なんの前知識もなく観たのが、余計によかったのかもしれない。

 この映画、好きだわ~と、素朴に感じた。

 実際、妻と乾燥しきった仲になっている水産学者のユアン・マクレガーも、ぼくとおんなじことをおもい、イエメンで鮭の養殖なんてばかげてると一蹴した。おそらく、この映画が上映されるまで、世界中の人はおんなじ反応をしただろう。けど、映画の中でイエメンの山岳地帯の降水量と豊富な地下水を知るにおよび、お、なんだか、まじな話じゃないか、とおもうようになるんだから、もう、製作者の術中に嵌ってる。しかも、英国が中東外交を考慮に入れた国家プロジェクトで絡んでくるとなると、奇想天外な夢の話がいよいよ現実味をおびてきて、決して相容れないような恋の行く末までもが現実味をおびてくる。

 このあたり、原作はどうなってるか知らないけど、脚本はめちゃくちゃうまい。

 で、結局、どんな主題になっているかといえば「釣りは、奇跡を信じてひたすら待つことが極意のように、人生における夢も恋も、ひたすら信じて待つことができれば、きっと叶う」という、くすぐったくなるような、でも感銘したくなるようなものだ。

 いいじゃないか~。

 他人が聞いたら一笑に付されるような、それどころか呆れかえられるような話が、どんどん大きくなっていって、やがて国家を動かすようなプロジェクトになっていくなんて、しかも、そのおおもとが、アラビアで雄一の立憲共和制のイエメンの王が、国内に緑を増やしてゆくために、まず、鮭の養殖をして水を豊富にするんだっていう筋の通る理屈を抱えた上で、富豪貴族の道楽と勘違いされるのを承知で「わたしは、砂漠でサーモンフィッシングをしたいのだ」とだけ口にするのは、脚本上の導入の都合とはいえ、なんだかいいじゃん。

 こういう、ほんとにできるかどうかはわからないけど、現実と理想の狭間にある夢に向かって進んでいく話って、わくわくするんですわ。

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カウボーイ & エイリアン

2021年12月04日 11時58分20秒 | 洋画2011年

 △カウボーイ & エイリアン

 

 西部劇にエイリアンを登場させるっていうのは発想としてはわかるんだけど、無理があるのは否めない。というより意味を感じない。エイリアンは異邦人なわけで、それって、なにも異星人である必要はなく、未来から来ようが超古代から来ようが、さらにいえば現代のわけのわからない怪物だっていいわけで、確立された世界に異物をぶちこむっていうのは、結局のところ、それに囚われてしまう分、作る側にも観る側にもよぶんな体力を消耗させる。よほどうまく作らないと、しらける。

 で、この作品はどうだったかっていうと、予想どおりおもしろくなかった。

 つまらないのはなぜだろうとおもいながら観てたんだけど、悪い奴にもかかわらずなんとなく救いがあるかもしれないなっていう主人公ふたりの物語だからなんじゃないか?とつまらないことを考えてしまうくらい、つまらなかったわ。ハリソン・フォードとダニエル・クレイグを並べればなんとかなるんじゃないかっていう安直さが、作り手側はそうはおもっていなかったかもしれないけど、観客には当然感じられるだろうしね。

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メカニック ワールドミッション

2021年12月03日 11時32分32秒 | 洋画2016年

 ◇メカニック ワールドミッション

 

 予想を超えておもしろかった。ジェイソン・ステイサム、すげ。

 とおもってたら、なんとまあ、これってステイサム版『メカニック』の続編だったんだね。まったく頭の端にすら浮かんでこなかった。まいったな。でも、話の筋立てが繋がってるとはおもえないし、結局のところ、ジェイソンが元殺し屋っていう、なんだかどれをとってもおなじようなステイサム世界の一作としかおもってなかった。

 とくに前作はドナルド・サザーランドがメインの脇役だったのに対して、今回はトミー・リー・ジョーンズに加えてミシェル・ヨーとジェシカ・アルバで、あきらかにグレードアップしてるし、脳内で繋がらなかったのは無理もないわね。結局、こういう「殺しの腕前は一級品なのに、そういう暮らしが嫌で引退しちゃってる主人公が殺しをさせられ、それを逆手に取って悪い奴らに挑みかかるための理由」ってやつを考えなくちゃいけないわけで、その引き金にいちばんいいのは恋愛感情を持ちそうな相手に殺されかけるんだけど、彼女は実は悪くはなかったっていう設定で、ジェシカ・アルバには似合ってたな。

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誰が為に鐘は鳴る

2021年12月02日 17時53分37秒 | 洋画1941~1950年

 ◇誰が為に鐘は鳴る

 
 小学生の頃、テレビで放送される映画はかなり決まってて、この作品も飽きるくらい見かけた。そう、見かけたというのがいちばんしっくりくる。なぜなら、小学生の僕にスペイン内乱も義勇軍もヘミングウェイもまるきりわからなかったからだ。
 
 インディアナ・ジョーンズの原型のようなゲーリー・クーパーが『アメリカでは共和党でも逮捕されない』といったところでよくわからなかった。
 
 ただまあ、中学生くらいになってからは今度は興味の対象は『キスはどうやってしたらいいの?鼻は邪魔にならないの?』とかいう台詞に凝縮されるんだけど、それでもなんだかわかったようなわからないような感じだった。
 
 で、このたび、ひさしぶりに観たんだけど、イングリッド・バーグマンの知的な可憐さは変わらないものの、なんだかドーラのようなゲリラの女魁はさておき、引きの絵がほとんどなくて、どうにも単調なんだよね。
 
 1943年に制作されたことへの驚きはあるものの、なんだかね。そこへゆくと同じ頃に撮影された『白い恐怖』のおもしろはどうだろう。サム・ウッドとヒッチコックの才能の差をあらためておもいしらされるわ。
 
 にしても、バーグマン、髪の毛を切ってサム・ウッドに売り込みに行ったとかいう話がまことしやかに残ってるけど、それはともかく撮影されたのは、少なくとも髪の長かった『白い恐怖』の撮影後ってことになるよね。
 
 
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舞踏会の手帖

2021年12月01日 01時39分03秒 | 洋画1891~1940年

 ◇舞踏会の手帖

 

 ティヴィヴィエ、上手いな~。

 しかし、夫が死んで、20年前の舞踏会で踊った男たちを訪ねていこうとするのは、どうもね、男のものの考え方みたいな気がするな。男の妄想っていうかね。

 ともかく、マリー・ベルが結婚すると知って自殺した男、裏街道に足を踏み入れて乳房もあらわな踊り子のいるクラブの経営者におさまるが逮捕されていく男、マリー・ベルのために曲を作ったものの神父になって過去を捨てた男、詩人だった山岳ガイドとふたりきりで山小屋に泊まるときの話だが、本気で雪崩れ起こしてないか?とおもったりもしたが、それより、だんだんこのヒロインが嫌いになってくる。

 旦那に絶望していたかもしれないが、つぎつぎに男を求めていくのがなんともさもしく見えてくるんだよなあ。

 で、男が雪崩れの救助に行かなくちゃういけないとかいって山小屋を出ることにした翌日『やっぱりあなたは浮気はできないわね、さようなら』とかいう置き手紙を残していなくなるとか、どこまで男に飢えてんだと。

 あともおんなじで、成り上がりで結婚式を迎える顔役、町いちばんの美容師。ま、そんなことで行方知れずの美男子が実は湖の対岸に住んでて訪ねてゆくと病死してて瓜二つの息子が路頭に迷う寸前だったから養子にして舞踏会にデビューさせるとか出来すぎな結末になるのもまあいいとしようか。

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