Creator's Blog,record of the Designer's thinking

フィールドワークの映像、ドローイングとマーケティング手法を用いた小説、エッセイで、撮り、描き、書いてます。

PEN LIFE1490. 学校教育

2017年10月27日 | diving

 この2週間は雨が続いていた京都もやっと晴天が続くようになった。いつもの秋か。

 さて、福島の都市計画プロジェクトも部分的に完成に近づいた。救われるのはレンダリングの早さだけど、それ以前の3DCGを制作する過程でデータ量が増えるとソフト自体の動作が大変遅くなる。次の操作ができるまで気長に待つほかない。その合間にブログを書いている。

 そんな時間つぶしのアイテムで、最近フレーズで覚える英会話というメールが届く。フレーズで覚えるのは正解だが、最初は挨拶からというのがガッカリさせてくれる。いつも英会話は挨拶から始まり次第に飽きて途中で放り投げることになる。挨拶ではなく、自分が話したいシチュエーションから入りたいし、そのほうが関心が高いから覚えやすいのだが、どうも文化系固有のあの発想あるいは学校教育の悪しき産物である基礎から積みあげるという思考方法が私は嫌いなのだ。

 やさしかろうが難しかろうが自分の興味のあるところから入る。これが正解だ。わからないところは飛ばし、わかるところから理解すればよい。例えば飛行機や鉄道のマニアだったころを思い出して欲しい。いきなり専門雑誌にとびつき、新しい言葉や難しい言葉に遭遇し、なんだろうと意識しながら次第にそれは理解され知識もステップアップしてゆく。それが学習プロセスだろう。先ずは興味、そこが肝心なポイントだ。

 学問は体系的に構築されているけど、その基礎から勉強せよなどというアカデミックなコメントは存在しない。どうも学校教育と文化系の悪しきご都合主義が教育体系をつくっている。だから基礎から始め、あとは忍耐でステップアップするというプロセスになると、忍耐!、忍耐!、忍耐!、その結果学問が嫌いになる。高等学校までの学校教育というのは、忍耐強い人間は成長するが好奇心の強い人間には辟易してしまう。

 だから私という主体性を放棄した万事基礎から忍耐で、という文化系発想(高校までの先生は教育学部出身者が多数だから体育、芸術以外はみんな文化系)が嫌いなのだ。学校教育が基礎からという体系をとるのは一斉教育の便法である。一人一人違う好奇心につきあっていては一斉教育ができません、というわけだ。だから教育というのはご都合主義なのだけど。それが好奇心のままに走れるのは大学に入ってから。ちと遅すぎやしないかい。

  さて画像の撮影データをみていて、ISOオートでシャッター速度は1/320以上に設定してあるのに、この低速シャッターはなんだろうか。ときおきオリンパスは設定が変わっていて、こちらを慌てさせてくれる。

 

沖縄県石垣島大崎アカククリの根

OLUMPUS E-M1,M.ZUIKO DG FYSHEYE8mm/F1.8

ISO400,露出補正-1.7,f/4,1/30

 

コメント
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