Creator's Blog,record of the Designer's thinking

フィールドワークの映像、ドローイングとマーケティング手法を用いた小説、エッセイで、撮り、描き、書いてます。

Nikon Freak352. 85mmという画角

2019年02月03日 | field work

 

 

 

 このところ所用で大阪へ出かけることが多い。ならばとリュックの書類の間に撮影機材をしのばせ、仕事とフィールド徘徊とを同時にしようというわけだ。というのも大阪まででかけたら半日は時間がつぶれるので、ついでに街の徘徊を兼ねようというわけだ。

 さてライツでは90mm、ニコンでは85mmという焦点距離が絶妙な空間感覚を呼び起こしてくれると私は考えている。シネマ用レンズでも85mm相当の画角が、自然に撮れる望遠系のMaxだったと記憶している。

 というのも例えば椅子には、快適に座れる人体寸法があり、建築には必要な空間を確保するために無駄の少ない寸法が適用され、都市の道路幅も交互に通りやすくするための空間が設えられている。つまり家具や建築や都市には定量的なモジュールがある。古来からそうした人体や空間のモジュールで家具や建築や都市がつくられてきた。そうした空間のモジュールが集積した都市は、85mmというレンズの画角が経験的に収まりがよいのではないだろうか。つまり空間などのモジュールとレンズの画角とが合っている。

  また最近のデジタル機材は、機材のsRGBの設定がadobe Photoshopと同じなので、自動補正しても変わらない。使い勝手が随分と良くなっている。これと、その他に35mmレンズの2本があれば、大体の都市は納まりよく撮影ができそうだ。

 そんなわけで、大阪の都心徘徊なのだが、この街は意味的な空間が多い。意味的というのは歴史や来歴を知ればなるほどと思わせるが、知らなければ退屈でなんの変哲もない空間である。そんなのを画像に記録してもおもろうない。つまり徘徊のしがいのない街という印象の方がよそ者の私は強い。

 せいぜい大阪だと中崎町とか空堀商店街、それに鉄道沿線に残る古い街とか、街の中に僅かに残る家並みぐらいしか被写体にならない。まあそれだけ街がかわってしまったということ。既に大阪は変わりすぎなんだよ。

 そんな考え方を広げてゆくと、地球は撮り尽くされている。そうなると撮影機材もいらないという悲しい現実にたどり着く。せいぜいシステムフェチをしながら、夢をみているほかないかなぁー、と思ったりもする。映画のように環境をつくらない限り。

 残る被写体は、人間しかないだろうな。人間ならいろんなストーリーを持っているから。85mmというレンズは、まさにその人間を撮るための画角であることを思い出していた。

 

大阪市道頓堀川、新世界、北浜

NikonDf,AF-SNikkor85mm/F1.8G

1)ISO400,露出補正-0.3、f/8,1/100

2)ISO400,露出補正-0.3、f/8,1/320

3)ISO800,露出補正-0.67、f/2.5,1/200

4)ISO800,露出補正-0.67、f/2.5,1/400

コメント
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