図1.名古屋市中村区の町屋 何しろ看板がすごい。もうこうした風景はなくなったと思ってよいだろう。変わりゆく名古屋の街の最後の風景に遭遇できた。
図2. 中村遊郭時代の名残だろう。
図3. 今は取り壊されてしまった。アジア的意匠が特徴的だった。
図4. 旧中村遊郭に現存する料理旅館。調度京都の角屋を思い出す。内部を実測調査したことがあるが、装飾を施した室内は興味深い。次第に経営難から施設の切り売りや転用が始まっていた。
図5. 名古屋の喫茶店 コテコテとしているなと思ったが次第に目が慣れてしまう。今はこんな喫茶店も大変少ないだろう。
図6. 名古屋の都心に戻ってきて、やっと現代に戻ったかと一安心した。
1997年に名古屋の大学へ赴任した。いきなり名古屋で最初に旧中村遊郭のフィールドサーベイに出かけた。名古屋の街は戦災で焼け出されたから古い建築は大変少ない。だが、このあたりならまだ少しは残っているかもしれないという見込みで。
確かに僅かばかり旧遊郭とおぼしき建築は残っていた。そんなのを撮り歩いていると年配の数人の男達に取り囲まれた。
「何をしてるがゃー」。
「君らはなんだね」と尋ねると・・・。
「うちらは、あれよ、あれ、つまり組のもんよ・・・」。
おいでなすったかてんで事情を説明すると理解された。それにしても人相は少し険しいが普通の叔父さんの顔と変わりがない。
「内部抗争の準備かとおもうたんや」といって引き上げていった。
これまで名古屋で内部抗争なんかあっただろうか!?。
1週間後、実習の学生達をつれて再度旧中村遊郭へ見学に訪れた。あのときも組のもんがしっかりあとをつけている。やぁー!、先日はどうも、今日は授業でねお騒がせします。そのうちに組のもんは消えていった。
そんな帰り道「フトンは美乃正」、で・す・かぁー。今時こんなすごい看板があるなんて珍しいぞ。また運良くジープまでやってきて不思議な画像になった。こんな風景がまだあったんだ。変わろうとする名古屋の最後の風景だから、いまでも記憶に残っている。
帰りしな「遊郭ってなんですかぁー・・・」と尋ねてくる女子大生もいて、しっているのにわざと尋ねてきたな。
「つまり君たちみたいな若い女の子をかき集めて一人10万円ぐらいで花街なんかに売り飛ばすのよ、そんでいろんなサービスをやるわけだぁー、それで僕は儲かる・・そういう仕事さ!(笑)」。
「それって10万円じゃ安すぎないですかぁー(爆笑)」、という女子大生の突っ込みもあったりして名古屋駅界隈で酒宴となったという楽しい時間だった。良い学生達に恵まれたなと思った。赴任してきて、最初からタイムスリップしていた名古屋暮らしであった。
さて本日(2月18日)の京都市内の気温は、7°/3°、明日は7°/6°、明後日は11°/2°と暖かくなってくる予報。天気予報でもこのまま気温上がり続け春になるのだそうだ。もちろん予報だからあてにならないが、「冬を抜けた」、といってよいのかもしれない。
だから今日から100%羊毛のセーターから少し薄手のセーターに着替えた。体感温度が高くなっていそうで、京都の底冷えを感じなくなってきた。
過去ログをみとる、この頃から京都の街を徘徊しはじめている。そして春の曇天のボンヤリとした光が登場してコントラストの低い画像になってしまうまでの僅かの間だけ、建物が綺麗に写るのだ。少し街を徘徊しようかなと考えているのだが・・・。
名古屋市中村区、中区 1997年5月
MinoltaCLE,LeitzM4-P,Rokkor40mm/F2.0,Elmarir28mm/F2.8,トライX