図1. 祇園町南側 花見小路は電線が地中化されているが、それ以外は全て路上に電柱が露出している。もちろん電柱を建物の色に合わせるなどの配慮はしているが、変圧器を電柱にぶら下げた形態そのものが異質だ。私の意識からすれば画像的には面白いのだが、都市景観という視点で見れば街並みのマイナス要因だ。外国人が数多く来るところにしてはお粗末だ。
図2. 祇園町南側 この横町も上を見れば電線が走っている。やはり電柱が地中化されてもよい程の日本の価値ある景観を呈している。
図3. 祇園新橋 これぐらいの雑踏になると電柱も目立たないが、上をよくみると電線が混沌として走っている。
図4. 祇園町北側 正面にドンとアイストップのように電柱が立っている。景観の焦点が電柱!、それはないだろう、ここは伝統的建造物群保存地区だ。
都市景観の立場で見れば、電柱と電線は地中化すべきだというのが多くの意見。特に外国人が多く訪れる伝統的建造物群保存地区からは、電柱は取り除くべきだというのが、都市計画の専門家の共通する意見だといってもよいだろう。そうはいっても、これがなかなか実現しないのですね。全く電力会社は、街並みや景観という意識が、今もって皆無だ。
もちろんフォトグラファーとしては、電線が絡まっているような風景に興味をそそられるだろうし、そこに都市の混沌とした姿を発見するからだ。といって混沌とした姿を褒めているわけではない。どんなにとり澄ましても、所詮混沌としたアジアの都市の1でしかないのだといっているわけだ。
そうした景観に市民が何も言わないということもあるだろう。まあしょうがないんじゃないですか、そうした意識がある限り街の景観はよくならない。つまり日本は民度が低すぎるといってよい。中国でさえ伝統的な保存地区は、政府が命令し素早く整備し、当然電柱を取り払っていますからね。
中国人が、なぜ日本に大量に来るか。それは日本の生活様式に学んでいるといえる。何が良くて何が悪いのかを、そして何が生活であり観光でありブランドなのかということを、日本製のカメラで記録し、しっかりつかんで帰ってゆく。いずれ彼らは国家の中心的な立場につくだろう。そのとき、かれらが学んだ経験が発揮されよう。何しろ中国は、日本よりも長い歴史がある泰然とした国家ですから。
抜かれるということは、将来生活用品の全てが日本製より安価で品質の良い中国製になり、およそ歴史的観光地には電柱などがない高品位な環境が提供されて世界から人々が集まり、そして日本企業がことごとくM&Aで中国企業に買収され、やがては国土も併合それ・・・・、中華思想とはそういうことでしょ。
京都市 2019年2月23日
EOS1DsMark3,EF28-300mm/F3.5-5.6IS USM
ISO400,焦点距離150mm,露出補正-1,f/5.6,1/125
ISO400,焦点距離28mm,露出補正-1,f/4,1/40
ISO400,焦点距離70mm,露出補正-1,f/5,1/20