たまには建築美でも。
こうした建築の連なりやディテールを撮るときに135mmの画角のレンズが必要になる。APS-Cサイズでは90mmという焦点距離のレンズ。今時この焦点距離でありながら小さく軽いレンズはライカぐらいしかつくっていない。だから手元にある53年前のライツ・エルマリートを引っ張り出す。お古のレンズだから、空の色をみると少し色が濁っているようだが、エッジは大変シャープだし小さく軽いので、まあこれでよしとするか。
ヨーロッパに旅をするツーリストは多い。何を見に行くかといえば西洋建築を見に行くといってもよい。その建築群がつくりだす街の空気を味わいにゆくといってもよいか。それだけ支配的な建築群だが、そのわりにはツーリスト達は建築に対する関心がない。そのあたりが不思議な傾向だと、建築の専門家は思う。
そういうと反論がおきる。「いや、ありますよー、例えばキッチンなんかもういいたいことだらけで」、それって建築ではないですけどと専門家は思う。キッチンというプロダクトデザインと建築とを混同している。建築である以上少なくとも壁から外側の話である。そう都市や環境に関わる話なのである。建築とはそういうものさ。
フランスで刊行された建築の専門書をみていた。全部建築の外観の話ばかりだ。もちろんインテリアに関する話やプランニングなんていう話は皆無だ。建築の外観をどうつくるか、そこに歴史的ヨーロッパ人達の最大の関心があった。それが都市の景観につながってゆく。
日本人ぐらいだろうな、建築というとインテリアやプロダクトデザインの話とを混同してくれるお目でたいのは。まあ脳天気というのは平和な証拠なのだろう。
なんで建築の話を書き出したかというと、gooのブログでアフガニスタンの政治家アフマド・シャー・マスード(1953-2001年)の話を読みふけっていたからだ。彼もまた建築の学人だった。彼曰く「国を解放したら、国民が信頼できる政治家に後は任せて、大学で建築学を勉強しなおしたい」。そういいきった彼はNYの9.11事件の2日前に暗殺された。
さて、昨日の京都は、曇天+小雨、昼の気温が4°。風情なんてあったものではない。都心でこの気温だから、出町通り以北では1°ぐらいかな。もちろん3連休は避寒につとめる。つまり家にこもる。連休で都市が動いていないのだから当然街も寒いはずだ。あと1週間は、冬の最後の悪あがきが続きそうだ。我慢・・我慢・・の日々である。
京都市東山区 二年坂、清水寺 2019年2月5日
SONYα6000,Leitz Tele Elmarit90mm/F2.8
ISO100,露出補正0,f/8,1/250
ISO100,露出補正0,f/8,1/500
ISO100,露出補正-0.3,f/8,1/400