Creator's Blog,record of the Designer's thinking

フィールドワークの映像、ドローイングとマーケティング手法を用いた小説、エッセイで、撮り、描き、書いてます。

番外編402. 鉄ちゃんに連れられて都電行脚

2019年02月14日 | Tokyo city

図1. 東京都新宿区大久保車庫(1969年4月)

 

図2. 東京都新宿区大久保車庫(1969年4月)

 

図3. 東京都新宿区大久保車庫(1969年4月)

 

 図4. 東京都新宿区大久保車庫(1969年4月)

 

 モノクロネガには、1969年4月都電大久保車庫とクレジットが付いていた。

 車庫とか工場というのは、得体の知れないモノがあって結構面白いはずだ。ならば行こうというわけで私が高校生の頃、鉄ちゃんに連れられて都電の車庫へでかけた。もちろん車庫に入るには、見学目的などのを書類を書かなければならなかったはずだが、そんな書類1枚で車庫をみられた時代だ。

 都電の台車がむき出しでおいてあるとかモーターをばらしたところなどを期待していたが、モノクロネガを13枚しか撮影していないので、車庫内は整然としていて思ったほどの発見がなかったようだ。建築も柱のハンチの角度からすれば戦前の壁のようにも見えるが、まあ屋根は明らかに戦後の素材に吹き替えてあるのでそっけない。いさんで出かけたが大きな収穫がなかったのだろう。その後都電が廃止されると、車庫は公共施設やマンションに変わっていた。

 都電13系統は、新宿の手前の抜け弁天という停留所の前に、小さな神社の鳥居や店があり少し界隈的な賑わいがあったし、背後は大きなお寺であった。そこから左へカーブし専用軌道に入ると木製枕木の上を滑らかな音を響かせて牛込台地を下り、ほどなく大久保車庫にたどりつく。そして次の停留所である新田裏から都電は左へ回り新宿方向の道路に入ってゆくが、面白いのはそこから真っ直ぐ先へ続く専用軌道があり、新宿終点近くまで回送用都電の抜け道だった。そしてこの沿線が荒びた景色で、こここそがあの新宿ゴールデン街であり、当時の文芸作品にも登場している。

 私が新宿ゴールデン街に繰り出すのは、もう少し後の時代だった。そのときカメラは既に関心がなかったので街の風景は撮りそびれた。撮っていれば今でも興味深い風景だったかもしれない。思い出すのは、外から狭い階段を上がり飲み屋にたどり着いた風景ぐらいだ。

 その往事の新宿ゴールデン街の姿も今は変わっただろう。だから訪れたい気分ではない。街は、古い風景が消え新しい風景が生まれるけど、私の感性と撮影機材の眼は新しいモノが好きなわけではなく、といって古いものでもない。多分通り過ぎる風景を記録しているだけなのだろう。

 

 図5. 東京都新宿区、都電13系統抜け弁天-大久保車庫間(1969年4月)

 

東京都新宿区都営交通大久保車庫、1969年4月

Canon6L,50mm/F1.4,トライX

コメント
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