やっぱりどうしても解らない

今世界を見ていて、全てのこと例えば経済にしろ政治にしろ教育や文化も芸術も戦争も平和も人類の全ての営みは地球の存否を基本にかんがえないとすべてがなりたたず意味をなさなくなるのではないかと色々な報道に接するたびに考えさせられる。要するにテレビに登場する人々や新聞の社説さえも間断なく進行している地球の異変を頭の片隅にもあるようにはどうしても見えない。言い換えると人間の生存や成長もは自然の摂理や法則なしに人為を基本にしてよかった時代は来るとこまで来ているのにそれに全く反応しているように見えない。私の目には故人の大家壮一の言葉を借りれば「1億総白痴化」ならぬ「人類白痴化」か、温暖化の暑さにやられた大ボケか。宗教も含め物の考え方が部分的・断片的に見える。たとえば世界的な気象異常に人類が反応し対策を考えているとは思えないし連日報道される異常な事態や事件は常態化している。言わば社会は常にそれを内包しているのに詐欺的な対策らしい言葉が多く安心できるのはほんのわずかしかお目にできない。老人性の誇大な悲観論的妄想かもしれないが、でもやっぱりそう思う
。同じように感じている人も少しはいるだろう。私はあまり読書家ではないのでこれをよんでいる人でいい本があったら紹介してほしい。若い人の真似のできないような感性やバイタリティを計算してもやっぱり「大丈夫か?」と
思ってしまう。地球も人間も根こそぎ壊していることを社会ももリーダーも市民も
平気になっている。やってることがどうしても解らない。
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子どもが変わるきっかけ

(子どもが変わるきっかけ)は
1探索行動の保障《周りを警戒することなく動き出す自然な行動=動物的学習本能》
2子どもの話をしっかり聞く
1や2は言葉にすると簡単に聞こえるが実際はかなり困難だと思う。《自分の経験からも》
個人の努力と言うより個人の感性や生活上の条件がそれを困難にしている。
1については昔から家庭や学校はその場ではなかった。子ども達が戸外で自然とも関わりながら群れ遊ぶ中にあったが今はそういう時代で無くなった。家庭も学校もそれを補う子術を知らない。2は家庭も学校も必要は感じていてもその時間が無い。子どもが変わるきっかけとは本来の子どもの精神的成長を促すものだからこの機会が十分補償されない子どもは色々な困難に直面することになる。
子育て教育上の問題の噴出は全国的に多岐にわたりしかも幼児期にまでさかのぼるようになっている今日で、全くと言って良いほどその面から論ぜられない。
地球の資源や温暖化同様最も大切な問題から目をそらした瑣末な論議に終始しているように見える。子ども達の反乱や、地球のからの天罰を待つよりないのだろうか。勿論これは全てを語っているものでもなく今すぐどうのと言っているわけではない。ただこれが社会的に問題になるときはリスクが大きすぎにっちもさっちも行かないときではないかとの危惧を持っている。社会の大事な問題は落ち着いて人の話をよく聞ける人の論じてほしい。そうしないと社会も変化《発展》のきっかけもつかめない。

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