自民総裁選

メディアは小泉劇場に変わってこの半年は自民総裁選劇場に変わった。世論調査という演出ツールを用いながら主役は小泉から安部に変わる筋書き。違いのよく分らない私は誰でもいいのだが、気になるのはメディアの劇場演出による誘導。国民はメディアが打ち鳴らすほどそんなに政治に関心を持ち次期総理に期待してるだろうか。投票行為に見られるように政治への無関心、政党支持なしが最大の多数派ではないか。もう一つ気になるのは、総裁選3候補の違いを見出すことは国民の生活や国の先行きにそんなに意味あることだろうか。それは単に自民党内のことといっているのではない。人の暮らしや将来を考えたら、経済成長も大事なことことかもしれないが、それには限度のあることは明らかだし、実際はそれ以上に地球環境のことや地球資源のこと、子ども達の将来、深刻さでは、自殺者、病人、犯罪などの社会不安が最もさしせまってはいないだろうか。大多数の国民の暮らしや関心はそこにあるのではないか。政府がどれだけ「景気がいい」と言っても殆どの国民はそれには関係なく、殆ど政府やそれを伝えるニュースの言葉は日本語として役割を果たしていない。そういう中で、誰一人新しい価値観や世界観を持った人がでるのではなく、靖国参拝や格差がどうこう言う小手先の違いに終始してはいないか。3人の中で誰がなろうと、受難の子ども達に明るいものが期待できる人が一人でもいるだろうか。誰がなろうと自殺者が減り若者が元気になると期待できるだろうか。私は戦後の酷く貧しく食べるにも困る時代に育った。しかし今の子ども達よりはるかに希望を持ち幸せだった。同世代の人たちも同様に言うのをよく聞く。戦後は豊かさを求めて子ども達も幸せになった。今は豊かさを求めて子どもが不幸になっているではないか。そんなに時代が変わっているのに3人とも時代認識は旧態依然。それにもかかわらず、メディアは笛や太鼓を打ち鳴らす。このように書くと、自民党や体制批判に聞こえるかも知らないが、社民党や共産党も経済的には「お金ををこっちにも回せ」の主張。反戦平和の論拠も旧態依然。60年前までとは平和も戦争も実態も地球的意味も全くと言って良いほど変わっているにもかかわらずだ。立場や主張はどうでも良いとまでは言わないが、現在と今後の世界に目をやり、人類の文化のあり方を指導者は指し示してほしい。人々はそれを待ちのぞんでいるのではないだろうか。メディアが他人事のように言う自作自演のお芝居には嫌悪感すら感じる。せめて人々に必要なニュースぐらい伝えてほしい。お宅さんにも家族はいるでしょ。仕事とあなたの暮らしは別か?
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