政府機関の不祥事なのに

年金受給者の対象が分らなくなっているらしい。明らかな政府機関の失態である。
 これだけ大きな問題だから、責任の所在や責任の取り方もあるはずだが、それは問題にはならない。無責任は「官民問わず」だと書いたばかりだが、連日、目の前の国会(テレビ)で目にする。与野党とも、政争に気をとられ情緒的で責任のとらせ方やとり方を曖昧にしている。
  責任は社会的な関係で生まれ社会的な関係でその程度に応じて責任を取るのが普通だろう。社会的な「結果責任」と今後同じことが繰り返されないよう「後始末」としての責任も伴う。
 年金問題でも、責任の所在が曖昧で責任者が誰だか分らないままで、誰がどう責任を取るのかも分らないどころか、謝罪の言葉も聞けない。これが金融などの企業で起きた場合、ただでは済まない。こんなこと、
ホリエモンもびっくり。
 メディアの『どっちもどっち』的な判断もどうかと思うが、政府・与党や、攻める野党にもその責任感の希薄さを感じる。形式的であっても社会的な責任をはっきりさせるのは解決に向けた最低限の前提ではないだろうか。原理的には社会契約の社会が成り立たなくなる。もう既に、そこまで進行してしまっているようだ。。暴走する故障車に乗っているようで危っかしい感じがする。
 
 月から地球の様子を見ると、我々が月を見る時と同じようにロマンチックに見えるのかなー。それとも、危なっかしく見えるのかなー。

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