世の中の見える世界から見えない世界まで思いっきり。特に、子供、教育、不登校、自閉症等 情緒に関心あり
天まで届け
こんな変なことを、まかり通うらせている大人。
今日の子供の問題が、大人に責任がある事は誰もも否定しないだろう。
しかし具体的に誰が?どこで?となると、あやふやになる。
子供と長年関わってくると自分自身を含め、大人の問題はあまりに多い。分りやすい一つの例を挙げてみたい。
誰でも知っている(例外はあるかもしれないが)どの小学校でも、授業の開始と終了はチャイムによって子供たちに指示する。午前中の2時間目と3時間目の間に20分ぐらいの休み時間がある。天気がよければ殆どの子供たちは校庭で遊んでいる。休み時間終了時刻と3時間目の開始時刻の間は(殆どの学校は)5分間である。だから子供たちは、休み時間終了の合図のチャイムで、遊びをやめ5分後に3時間目の準備をして授業をする教室で席についていなければならない。果たして可能か?
子供は遊びをやめ昇降口にむかい。靴を履き替え、教室近くの流し場で手洗いやうがいをし、多くの子供はトイレで用をたす。それから教室に行き3時間目の学習準備をする。音楽・図工・体育・家庭科・理科・図書などの場合は準備してからさらに授業をする教室へ移動する。学校や担任によっては並んで揃って移動する。そこで着席になる。これを5分間で出来るか?
各学校、毎月1回避難訓練をする。授業を止め、校内放送で教員の指導の下、一斉に避難開始し、避難場所の校庭に全児童が揃うのは、管理職がストップウオッチで計時するが経験したどの学校も5分前後だった。非常口を使い、靴の履き替えもなく、おしゃべりも一切せず5分かかる。勿論トイレや手洗い教室移動もない。
だから、3時間目の授業開始時刻は出来ないことを求めていることになる。
これが日本のほとんど全ての学校がやっている。
日頃、『先生の言うことを聞きなさい。』『決まりを守りなさい。』『廊下をは走らない』と指導しているから、まじめな子どもが、3時間目に遅れまいとするとどうなるだろう?否が応でも、どれかの決まりを破らなければならない。
心を痛める子供はいないだろうか?
まじめな先生が遅れてきた子供を叱ったとすると、その子供はすんなり授業に参加出来るだろうか?
この問題は昔からあったが、昔は先生達も(仕方ないとして)それを暗黙の了解で対処していた。最近はそんな悠長なことは許されない。
(大人が子どもを壊す)多くの中から、誰でも知っている、どこでも行われている、分りやすいことを取り上げてみた。
こんなことは普通、教師や親が気が付かなくてはおかしいのだが、そん話は教職40年、どこでも話題になった記憶がない。
これは一つの例で、子どもの発達成長を無視し阻害していることは学校の内外に山ほどある。目に見えやすいこんな事が、長年ほうたらかされているのだから、他は押して知るべしである。
例にあげたようなことが何故起きるか? 答えは簡単。子供の動きを知らない行政官に法的なカリキュラムが作られ管理されているからである。
国会で可決されるであろう教育3法はどれもこれと同様の発想の上にある。法律の及ぼす結果の予測がが全く違う。教育現場や教育現場の認識を欠くためか、法の限界や功罪を知らないからに違いない。あの3法の結果は子供にとって悪くなってもよくなることはまずありえない。今後、教育問題はさらにエスカレートし、子供の状態を表す統計の数字にはっきり表れる。
それが社会問題になった時、権力や行政は政策的な誤りや行政の責任には絶対しない。メディアや国民も同じ。今まで、教育の責任を現場教師や法律に負わせてきたが、これからは次第に、親や子ども自身に向けられる。殆ど間違いなくその流れになる。公教育の責任を家庭や教育を受ける子ども自身に向けるのだから、すごい所まで既にきている。親や子供はやっていけるのかなー。
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