世の中の見える世界から見えない世界まで思いっきり。特に、子供、教育、不登校、自閉症等 情緒に関心あり
天まで届け
映画『それでも生きる子供たちへ」を見てきた
昨日、あの映画を見てきた。映画の中身は出てくる子たちの表情が印象的だった。子役の俳優でなく現地の子供をそのまま使ったせいかリアリティがあった。特に最後の中国のさびしい女の子は日本にも通じるものがあるせいか、気持ちがよく伝わってきた。
映画は別にして、平日の午前中だったが、いつになくお客さんが多く、しかも殆どが20歳前後の若い人たちだった。それは、なんでか嬉しかった。
帰り道、渋谷駅前のハチ公のある広場を通った。ちょっと変だが、そこに集まっている人たちのようすが映画以上に印象的だった。
どの人も今風におしゃれだったことは以前(3-40年前の印象)と変わらないが、全体にどこか当時と違って見えた。
様子を見ながら、山中 恒の児童文学「サムライ」のあるシーンを思い出した。
戦後、北海道の炭鉱の町美唄?(確か作者が美唄出身)のまち外れ、当時、「サムライ」と言われた貧乏長家など集まる下町の、倉庫の壁にうつろな目でもたれる無気力な子供たちが描かれていた。その日の食べるものにも事欠く極貧の中での事こと。
以前はハチ公前の若者は待ち合わせのせいか生き生きするものを感じた。ところが今回は、次に何をするのか当てもないような、溢れるエネルギーを感じない。目の前で事件が起きても、何事もないように、ジーとしているのではないかと思われた。
渋谷区で作った「地球上で遊ぶ子供たち」の彫刻のモニュメントがそばにあったが、何かそれがゴミの山に見えた。
あの映画をまた見たいとは思わないが、ハチ公前は、また行って、ゆっくりウオッチングしたいと思う。
映画は良かったが、子供の視線だけで、月から見た視線のない事が、ちょっと不満だった。
映画は別にして、平日の午前中だったが、いつになくお客さんが多く、しかも殆どが20歳前後の若い人たちだった。それは、なんでか嬉しかった。
帰り道、渋谷駅前のハチ公のある広場を通った。ちょっと変だが、そこに集まっている人たちのようすが映画以上に印象的だった。
どの人も今風におしゃれだったことは以前(3-40年前の印象)と変わらないが、全体にどこか当時と違って見えた。
様子を見ながら、山中 恒の児童文学「サムライ」のあるシーンを思い出した。
戦後、北海道の炭鉱の町美唄?(確か作者が美唄出身)のまち外れ、当時、「サムライ」と言われた貧乏長家など集まる下町の、倉庫の壁にうつろな目でもたれる無気力な子供たちが描かれていた。その日の食べるものにも事欠く極貧の中での事こと。
以前はハチ公前の若者は待ち合わせのせいか生き生きするものを感じた。ところが今回は、次に何をするのか当てもないような、溢れるエネルギーを感じない。目の前で事件が起きても、何事もないように、ジーとしているのではないかと思われた。
渋谷区で作った「地球上で遊ぶ子供たち」の彫刻のモニュメントがそばにあったが、何かそれがゴミの山に見えた。
あの映画をまた見たいとは思わないが、ハチ公前は、また行って、ゆっくりウオッチングしたいと思う。
映画は良かったが、子供の視線だけで、月から見た視線のない事が、ちょっと不満だった。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )