映画 「それでも生きる子供たちへ」

「大人は誰も、昔は子供だった。でも、そのことを忘れずにいる大人は、ほとんどいない。」

 厳しい現実の中、それでも生きる子供たちの輝く生命力。まだ
  この世界に、希望はある。

 「見えない子供たちにも」ひとりひとり、かけがいのない生があ る。喜びと悲しみがある。そのかけがえのなさが一人ひとりの名前に託されている。
 
 彼らは生きるために助け合う。
 
  窃盗も辞さない子供たちの夢と現実。
 
 暴力にさらされる子供たちと、愛に飢えた少女。それぞれの悲            しみと希望。

 子供たちの未来のために、大人達ができること。
 
  これは今、渋谷で上映されている世界の子供たちの現実を7つの国の監督達が描いたのを繋いだ映画、そのパンフレット か ら     拾 った言葉である。
       近いうちに見に行こう。

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コムスンに何故検察の手が入らないのか?

昨日来、コムスンの不正請求で会長があちこちのテレビで涙を流して謝っている。
 現役教師のとき、ある教師が「泣いて済むなら警察は要らない」と教室で子供を叱っていたのを思い出す。
 子供たちの目に大人たちが、
年金やこれらの不正事件を次々起こし、責任を取らないで、謝ったり誤らなかったりする大人は不思議に見えるだろうと思う。
 これだけ大規模な公金の横領・背任等の不正に法の番人である検察等の捜査の手すら入らない。不思議ではないか?
 粉飾決算でホリエモン、インサイダーで村上氏は逮捕された。きっと彼らは(どうして?)と思っているだろう。ちょっとしたら、
グッドウイルの会長も涙を流しながら心底同じ気持ちではないか、と思う。根っこは同じなのだから。

 政府機関の社会保険庁で年金の不正処理に、責任は棚上げ曖昧にされたまま、管理監督の行政府の責任者や、それを支える先生たちが、自らの立場や責任と関係なく、厚顔にあーだこーだやっている。「偽装に官民格差はない」とこの日記に、この間、書いたばかりだが、このテンポで不正が切れ目なく次々出るのを見ると、「不正の鉱脈の深さと広がりは見当もつかない」と見当つけるのが普通の感覚ではないか。
 
 月から温暖化や資源の枯渇で欠けはじめた地球でのこの様子を見るとどう見えるだろう?大丈夫?とつい声を掛けたくならないだろうか。
 今日の姿を子供の目から見ても、月から遠く臨んで見ても、我々は不思議な生き物に見えるだろうなー。
 
 同僚の教師も学級の主、大臣達も国の主。私のかつての職業(先生)も他人事ではない。

 子供と月と私、3者のお見合いは、怠れないなー!

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