学んで知ること と 忘れること

誰しも学ぶことは一生大切だろう。唯、学んで知ることと、同時に学んで忘れる(鈍磨する)ことがあるようだ。学び方にもよるが、いい事ばかりではない。ちょとしたら、新しい大事なことを知ると同時に、一方では今まで知っていた大事なことを忘れる(感覚が鈍磨する)仕組みがあるかもしれない。昔の人と比べると、今の人のほうが何倍も教育を受け学んでいる。世の中そんなに良くなっただろうか?かつて聴いたこともないようなとんでもない事件や犯罪が予定されてるかのように毎日毎日、規模も深刻さも数も、老若男女、管理されるほうも管理するほうも全く問わず次々発生する。高学歴社会で多くの人が学んだ結果である。始めに戻るが、学んで新しいことを知る学習と新しいことに気が付く学習の仕組みと2つのタイプがあるからだろう。前者は知識や教養を豊かにし後者は人の感性を磨く。現代は前者に価値観がおかれているようだ。子供のころは親でも学校でもどこへ言っても『子供はよく学び、よく遊べ』と言われ、どんな人も常識だった。あれは子育ての智恵だったのではないだろうか。人間ばかりでなく他の生き物にも通じる普遍的な法則ではなかったろうか。今、『よく学びよく遊べ』の言葉は殆どどこへ行っても聞かない。新し知識や教養であの法則は消えたのだろうか?これに似て、見失ったものがあまりに多いように思う。他とすり合わせ、無駄な贅肉を落とし、自分に気がつき、磨くような学びを心がけたい。人の話も含め全ての響きに耳(心)を傾けることだ。そこまでは分るが、悪い癖がついているからその先(実行)が難しい。
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