非科学上の「科学的」楼閣

「砂上の楼閣」と言う言葉があるが、似たような意味で、現代の社会は、非科学的な『科学的楼閣』だと思う。
 「科学技術の進歩」と普通に言われるように科学は現代の一般的な価値観になっている。現代の地球上で、我々のあり方は体制の如何を問わず科学的云々の名を使っても(←向きの)非科学的な経済社会の上に在り、常に論理・現実共に、根源的な非科学性が問われている。
 今日も、両党首の大連合の相談の経緯が論じられていたが、、日本の最高権力者の総理大臣や、参議院最大政党の党首が(いくらメディアの力が強いと言え)ある新聞社の社主の意向に沿い国政の如何(大連合)を約束するという。
 突如自ら総理の職を辞す異常事態後、2ヶ月しか立っていない。
  一般的にはありえないような、国の進路を左右する頭脳の中枢でこんな乱暴なことが何故こんなに連続するのだろうか?
 福田首相や小沢党首は政治家としても今までのリーダーのようなパフォーマンス重視ではない誠実さを感じ、嫌いではない。
 どのマスメディアも口にしないが、前総理も、今回の両党首もぶち当たった壁があったからだと思っている。その意味で両党主を引き合わせ暗黙に了解察せた社主にも理があったのだろう。
 両党首からは『国政の滞り』『国の内外の課題』『政策遂行・実現』などの一般的な言葉しか聞こえないが、ぶちあたたっている壁はそんな抽象的で一般的なものではないだろう。そんな一般的なことなら、従来どうり一般的なやり方で済んだはず。
 我々の立っている非科学の基盤の崩れを(普通・一般的・科学)の言葉で処理できなくなっているからではないだろう。この検証は今後の日本の経済や社会がどうなるかを見る以外にない。何故なら両党首も話を持ちかけた人も其の壁を【いろいろな意味で】言葉に出来ないだろうから。

「阿吽の呼吸」や「プッツン」は分らないではないが何のことか分れと言っても無理じゃろが!何とかせー!  と言いたい。

世界のリーダーも日本のリーダーも「普通」と「普通でない」を認識し区別し言動に移すことが困難な、そんな時代に入ったのだろう。他人事で他人事でないような気もするが、大変なことだ。

メディアの論調には「壁」への突破口を模索する臭いすら感じない。何故バタバタした騒ぎだけを問題にするのか?。
社会に随伴する少々の崩れなら行政府で間に合うはず、与野党の立法府がバタバタするのは地滑り的な崩れを確信をもって予見しているからに他ならなく、給油などは言われるほど決定的な問題ではないだろうと思う。

メディアは何を見てニュースを流し何を見て論評しているのか見ている先が分らない。

非科学的な『科学的楼閣』の非科学性に我々は言葉を失っているのではないだろうか?。
大元に目を向け、矛盾に気付かない限り、
      
(物事の区切・決まり・囲い) があくはずはない。

 

 

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )