あぜ道を歩いて

友達の畑の草取りで、隣の畑の境界のあぜ道を歩いていて気が付いた。
 どんな小さな草もちゃーんと生きている。中には小さな黄色い花や、ちっちゃなちっちゃな赤い実をつけて周りと一緒に一人前に生きている。
 昨日、近所の中学校が学校公開しているので見てきた。
 重い障害を持ち周りに迷惑な行動をとる生徒に、先生が良くなってほしいの気持ちで、必死に耐えながら指導していた。暴れる子供も大変そう、先生も大変そう。
 私も現役の時、似たようなこと沢山やってきた。
 あぜ道の小さな草を見て、昨日やっていた指導(私も長年やってきた指導)がどんな意味を持つのか考えさせられた。
 
スタンダードに近づけるべく、指導する。あぜ道の草や、家の窓下に来るすずめにスタンダードはあるだろうか?障害を持った草や生き物っているのだろうか?ちょっとしたら人間だけが作った【スタンダード】の基準で人を作り変えようとしているかもしれない。
草も虫も、 雑草や害虫の名で引き抜かれ駆除される事はあるが、スタンダードでないとは言われないし矯正されることもない。草や鳥って(スゴイ!)と思った。
 そこに教育や教育技術の基本があるように思った。
  まずは笑顔で向き合うことだ。遠回りしたかな?
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