「教職大学院19校認可」

これは、11月27日朝日新聞夕刊1面の大見出しである。
教員の指導力不足を解決し、レベルアップを目指しての文科省の施策らしい。
 新聞を見て「あーあ、まだやっている。」とため息も出ないぐらいバカらしくなった。 国は「お金がないない。」と言いながらこうしてお金を使う。(こんな事をするならどぶに捨てたほうがいいと心底思う。教師の資質を上げるのにお金なんかビタ1文いらない。)
女房に「文科省の役人は、こんな事を本気で考えているんだ。いまどきこうしてお金を使うんだから。」
 女房はもともと中学校の教員だったから、細かい解説はひつようなく了解する。
 小中の現場で定年になるまで教師としてあれこれ経験してくると、上記の策が全く見当外れであることは少なくても(出世)より(子供)に目を向けてきた先生なら、教師の立場に関係なく殆どの先生が心から納得するだろう。
 教師達の言うことが信用できないなら子供に「好きな先生」のアンケートをとるといい。 子供を利用したくないと言うなら、保護者に「いい先生」のアンケートをとるといい。
 また、すでに教職大学院出の卒業生が既に現場で教師をしている人結構いる。実際、どうなってるか評判を聞けばいい。だから文科省のこの方針の良し悪しの実証は少しも難しくない。
 にも関わらず、こんな案が出てくるのは、役人や、直接子供と関わらない学者は教師の資質を自ら持ち合わせず,理解できないからに他ならない。(彼らの経歴や職歴を見るとおおよそ求める方が無理な気がする。)
大学で余計に学問し実習して簡単に身につくものではない。教師の資質や指導力は現場で見ていると文科省の役人の意向とは逆なっていることが多い。
教師に必要な資質は子供時代からのいろんな生活経験とそれを基にした想像力である。
 資質を持たない学者に【教育】と言う理屈で枠にはめられ、にっちもさっちも行かない教師は既にもう沢山でているし私も沢山も見てきた。退職を余儀なくされた【特訓された】先生方も少なからずいる。
 東京学芸大の教師を育てる先生である【ある教授】は現場経験を志したのは立派だったが半年もしないうちに、お休みせざるを得なかった。(そんな例もあるぐらいだ。似た話は山ほどある。今年日本教育学会に参加させてもらったが、殆どの学者は小中学校の教壇に立つのは無理だと思う。何故なら子供と付き合う資質を持たない。)
「お金がないない」といって、こんな馬鹿げたことが世の中をまかり通る。
 月瞰図で地球を見ても、子供のそばで世の中を見ても、やっぱり、かなり滅茶苦茶だ。
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