「月から見た地球」の復習

先ずは、青く美しい球体が夜空に浮かぶ。望遠レンズで写真を撮る。以前撮った写真と3枚並べて見る。海や陸はかなりはっきり写っているが勿論自分のいた街や人の動きは全く見えない。目を凝らして3枚の写真の陸地や海を比べると、青く見える海が幾分広がりその分陸地が小さくなっているようだ。北極や南極の白い部分がわずかだが減り海が広がっている。望遠鏡を取り出しもう少し細かく見ると、ヒマラヤやキリマンジェロ等の山々の白い部分が小さくなっている。端っこから陸地を追うと、何と、あちこち緑に見えた部分がちいさくなり、茶褐色に変わっている。再度海を見ると何と海に浮かんでいた島々がそれぞれ一回り小さくなり、中には見えなくなったのもある。 また陸地を追うと、山火事だか戦争だかピカピカ・ぼうぼう光っているところがある。確か地球上の人口は急速に増えていると聞いてきた。しかし目の前の地球を見ていると人の住めるところはこの3枚を比べても小さくなっている。気になって高性能の電子望遠鏡を取り出して見ると、なんと雲の流れが過去のものと明らかに違う。しかも、レンズかガラスを通すように地球がボケてきている。地球はどうなるのか?と、行った隊員は全員心配顔で、顔を見合わせた。

私は月から見た地球の姿を鳥瞰図や俯瞰図ならぬ「月瞰図」と言うことにした。我々にとって何が大切か?の優先順位が分りやすいのでこれを基本に物を見たいと考えている。

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言葉は道具

人が言葉を習得し言葉を使って社会生活をする。だからより多く複雑な言葉を習得することにより社会の求めに応じられると考え、現在の受験競争や学歴社会はある。
ところで、チャップリンの「ニューヨークタイムズ」?だったか,ベルトコンベアの前で機械に合わせてチャカチャカ動き、会社を出てもチャカチャカした動きが止まらない、と言うのがあった。
 現代は、コンピューター制御で、お風呂に入り、飛行機に乗り、心臓を動かし、熟睡する。
 「言葉は道具」とも言われる。するとチャップリンではないが
言葉と人の関係が逆転し、言葉が人を動かし支配するなることも考えられし実感でもある。社会の仕組みも動きも社会的な言葉によって決まる。私が言いたいのは、このような中で個人の持っている言葉は社会的な道具としては殆ど用いられない。社会的な言葉(道具)や文法でへんてこなことになっても我々はそこからは逃れられない。全部が全部こうなっていると決め付けるわけにはいかないが、これが我々が生きている社会と我々の現実的かつ基本的な関係ではないかと思う。だからこそ、価値の逆転した馬鹿げた地球上の人類を月から何人(なにびと)も見ること出来るようになってしまった。

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