分っている積りが危ない

 ヒトビトは知ってることより知らないことの方が多いのは当たり前だが、
 ドジがお金のことをよく知らないで使っているようにヒトビトは、分っている積りで実際には分らないで行動していることが多いのではないか?
 ドジは時々思う。世界や日本、そして世の中はこうなってると思っているのは、実際とはかなり違っている.(かなり)が問題だが、感覚的には3分の1ぐらいかな?
 
 逆に(知らない、分っていない)ところが多いからだと考えれば希望が湧く。 
 ここで書きたかったのはこういう一般論ではなく、仕組みやメディアによって勘違いさせられてる【している】ことが書きたかった。
 お金の総量だけでなく、世の中を知る元になる大事なことが知らなかったり知らされていなかったりしていることをここでは書きたかった。
 教育も子供のことを考える大元がいくつもいくつも抜けている。
  教育学や心理学以前の当然の事が分らない状態で(にさせられて)進んでいる。
  子供が大変な状態にあることは誰でも分っていることなのに、あーせいこーせいの話ばかりが多く、指示する人(専門家や行政も)が抜けてる事に事に気が付いていない事が多い。
 ‥初心に帰えって【どう思う?】から始まれば話は早いのだが‥
 恥ずかしいことだが、自分自身分っている積りで実際には分っていなくて犯した失敗は数え切れない。
  
 
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分っているようで分らない【お金】

世界のヒトビトにとってお金は大事そうだが、お金は全体でどのぐらい発行され使われているだろう?
 ヒトビトの中に誰か一人でも知っていいる人がいるだろうか?
 各国の中央銀行は発行した銀行券をトータルすれば分るはずだが、総裁からも、政府からも これまでどこからも、ただの一度も聞いたことがない。年間の国家予算は国会で論議され報道されるから、関心があれば誰でも知れる。しかし、使われてるお金の総量が分らない。(?)
 変ではないか?
 何故なら、発行されたお金の総量と換金できる全ての総体の間に生ずる価値(観)によって貨幣価値が決まるのではないか?
 お金の総量と、換金できる物の総体は、個々の物の貨幣価値と関係していないか?
 
 
  例えば、経済対策で金融の量的緩和のために10兆円発行したとしても、
 どれだけの緩和かは発行された総量が分らなければ緩和の度合いは分らず、市場へお金を提供し流れを作ろうとしているのは分っても全体的な金融緩和の意味が分らない。
 ヒトビトの将来にはそっちの方が大事ではないか?
 (もう一つ分らないことがあって、この不景気に際しお金が全体的にどこからどこへ移動したかである。1年半前は世界的にお金はジャブジャブだったはずである。)
 
 
 
 
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≪未来への投資≫を急げ

朝日新聞は社説で保育園制度の改革を中央と地方の行政に訴えていた。
 経過や周辺の問題と関連付、具体的で説得力のある久しぶりにいい社説に感じた。
 それはそれとして、子供の将来に関わる事を≪未来への投資≫と言って違和感のない現実に改めて今日の危機の深さを感じた。 
 少子化対策と言いながら待機児童が2万人もいると言う。給付金の3分の1もあれば今すぐ解消できる費用のようだ。
 病人や子供おいて、機械的にお金を配るヒトの感覚をどう見たら良いのだろう?
 大事な事が沢山ある中で、何を優先しなくてはいけないかの判断はどうなっているのか?
 庭先に来るスズメは1羽の例外もなく、1に安全 次にエサ を間違えない。
 
 

 
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ものの見方が変わり始めてる

ヒトビトが地球を背景にして個別の情報を見たり、自分たちのやっている仕事(産業)に目を向け始めているようだ。
 テレビや新聞を見ていると、ヒトビトが目を向ける所とその見る方法に僅かだが変化を感じる。
 例えば、昨日のテレビでは秋葉原の事件をある作家が、歴史や現代の世界文明との関係で論じたり、今朝の朝刊は≪新産業育成が未来を作る≫≪ワールドエコノミー≫≪地球観察≫「内向き日本、どう変える≫と、大きな記事が載っていた。
 
 もう一歩突っ込んでくれたらとも思うが、自分もこうして地球を俯瞰してスケッチする練習をしている。慣れない事で、まだまだこれからだ。

 
 
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