ヒトの経済対策

持続可能社会とかの声も聞こえるが、産業構造だけでなく何を考えているのか不可解なことをしている。
 100年に1度の経済危機と言いながら、経済を立て直すためと言っては、国はお金を印刷したり、借金〈国債)してまでお金を使う。
 確かにヒトの動きは激しくなり、世界の株は下げ止まり、元気を出しはじめたかに見えなくもない。
 でも変だぞ!
 経済が危ないというのは、ヒトビトが暮らしていくのに必要なもの〈一応ここではお金だとする)が足りなくなってきたと言う事だろう。
 お金を印刷するのは分る気もするが、昔話の狸が木の葉をお金に変えるのと似ているなー。昔話は騙されるヒトがいるから狸の気持ちは分るけど、ヒトがお金を作るのだから、ヒトが人を騙すことになる。話としては面白いが景気対策になる?
 お金が無いと言いながら、お金を使う。使ったらなお更なくなるのではないかなー。やることが分らない。そろいも揃って地球上のニンゲンが揃ってやっているのだから、どうしたことか?
 下界へ降りて話を聞けば、血液を増やし循環を良くすると真顔で言う。
 その気持ちも分らないではないが、やっぱり不可解。
 一応、ヒトビトの暮らしに必要なものをお金だとしたが、経済ということだから、お金や物まで含めて考えてみよう。
 お金を使って道路や施設を作ったり、売れそうなものを沢山作る。
 物の動きで見ると、地球の資源から施設や製品に移動しただけで、ヒトに必要なものが動いただけであり、持って来た資源は持ってきただけ減っている。
 ヒトが暮らすのに必要なものは一見増えたか〈循環が良くなる)に見えるが後ろの原料は確実に減っている。必要な物の不足が経済危機の本質なのに、物を消費して、経済が良くなるはずがない。良くなったように見えるだけではないか。これで経済的に安心できるのだろうか?
 結局はヒトは勝手に資源を無限と言う前提で目の前のお金やものを豊か?にして
 膨らましたり破裂させたりして繰り返し繰り返し遊んでいるのかもしれない。
 (ここから見てると)何時まで続く?と思う。
 最初のボタンを掛け違えているから、次々変なことになる。
 そっちからこっちを見るように、こっちからそっちを見るのもいい。
こっちから見ると、 100年い1度の経済危機ではなく、史上最大の経済危機であり、景気や金融の循環とは関係なく経済危機は深化している。
 地球を見ないで経済を語っても意味がない。
 経済対策の芽はは沢山あるが声は殆ど聞こえてこない。
 
 
 
 
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俯瞰力=全体を察知する力

ドジが憲法ミュージカルを追っかけている中でこんなことがあった。
 昨年は、一昨年の成功を受けて同時期に全国3箇所で稽古が行われた。
 当然、田中監督が東京会場へ直接来て監督できるのは全日程の3分の1になる。
 公演3週間前、ドジは【今年は去年のようには行かない】と確信した。
 舞台上で稽古する人たちがバラツキ、時に演技上の違和感を生んでいる。素人のドジの目にも見えてきた。稽古は積んでも中身が伴わない。
 最終的には監督も気がつたのか応急措置を講じ、立派に成功させていた。
 後の反省会で、監督や指導部、裏方、舞台に出た人たちから率直に語られていた。
 総監督の役割を改めて知った。
 演技上のことであれこれ言わないタイプの監督だが、大元の【目配り気配り】
  をしている。
 学級担任をした経験で言うと、指導者は担任とは限らない。子供がリーダーシップを握る事もあれば、補助の先生が実質リーダーをやることもある。
 要するに全体を察知する人間が必要でそこが全体を動かすことができる。
 多分どんな人間の集まりの動きもそうに違いない。
 謙虚さよろしくそこを譲ってもたれ合っていては物事上手く行かない。
 厳しく言うと責任とはそういうものではないだろうか?
 形上の責任と実質が合っていても合っていなくてもさほど重要な事ではない。
 どこにもそれがない時、集団の動きが鈍り、全体が思うように運ばない。
 

 
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