ミュージカルの意味

ドジのミュージカルの追っかけは、2年前【憲法ミュージカル】を見てからだ。 
 殆どのメンバーは素人で、学齢前の子どもから、80歳を過ぎた老人、車椅子の人もでる、総勢百人。
 初めて見た時、幕が開いて間もなく涙が出てきて足からガチンガチンに堅くなり熱くなった。
 終わりまでそれが続いた。
 その時監督の田中○○さんに興味を持ち、それ以来彼と憲法ミュージカルを追った。
かれのすごさは、お客さんも、裏方も、どの人も、幕が開く前も、やってる時も、終わった後もいつのまにかミュージカルの一員にしている。
彼は現実社会が舞台なのだ、と言ってるように見えた。
オーディションも受けず、ドジは最初から最後の反省会、次の計画までミュジカルを追っかけていた。いつのまにか追っかける人が増えていた。
 監督はじめ歌唱や踊りを指導する人が怒ったり注意したのをただの一度も見なかった。
 全て個々人の内面を引き出すための声掛けだけだった。
 指導者はあれこれ言わないが、全体をようく見ていて個々人をどう生かすかを最後の最後まで自分に厳しく生かし方を求めていたようだ。
 素人には玄人の技術ではカバーできない、個々の真似の出来ない内面的な価値観や感性がある。
 それらの全体を舞台に位置づけるのだから、スケールは大きく、(均質的な)プロには真似のできないミュージカルになる。
 (勿論、プロはプロとしてのよさはある。)
 追っかけをしたミュージカルは舞台の上も下も若い人がいっぱだった。他ではあまり見ない風景だ。
 
ドジは ブレーキを踏まないよう注意して応援するだろうが、今はミュージカルの意味が微妙。田中監督ならどう内面を引き出し、俯瞰図《全体図》の中にどう位置づけるか?と思う。
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