自然体が授業のコツ

 1、教室いる人たちの中で最も理解困難な子供に焦点を合わせ、その子の反応を見ながらできるだけ話す内容を精選し、出来るだけ内容を少なくして、ゆっくり丁寧に、単純に話す。
 伝える工夫としては、(出来るだけ)論理的にならないようにし、伝わりやすい単語《名詞》やフレーズを中心に助詞は最小限にする。
 オバマ氏がチェンジ・イエス ウイ キャン・ワン
 小泉氏のワンフレーズ政策
 田中角栄氏の演説の数字の多用  は教師の技術と似ている。
 2、授業の開始、特にこれからやる内容が全員でやれる内容であることを短い言葉で伝え、興味と意欲を喚起する。途中でだれたら、分りやすい言葉を挟んで意欲を持ち上げる。
 これは教材を作る時、その構成の仕方も同様。
 話す場合も補助教材を作る場合も、全体量を最小限にし、聞いたり読む
 主体が子供達だから、あれもこれも入れたがるが、教師中心になり、押し付け学習の意欲を下げ子供は逃げる。
 3、間の取り方
  話す時は出来るだけゆっくり話す。
  子供に想像してほしい大事な言葉の後は、さらに間を長めにとる。
   これはプリント教材の時も同じで、空白は大事な意味があり、空白によって
   伝えたいものの意味が変わる。絵や書道と似ているかもしれない。
 4、話す自分が自分の話に耳を傾け、聞いてる子供と同じ流れで思考する。 
   そうすると子供にどう伝わりどう反応しているかが見えてきて協調してくる。
 5、子供に伝えるもののうち言葉で伝えられるのはメッセージの30パーセントぐらい、子供はこちらの全身の動き、表情、目の動きなど全体でメッセージを受け止める。変だけど役者みたいなところがある。子供も全身こっちも全身になると教室が一体感になる。
   
   こうやって列記すると、誰も身動きできなくなる。
  実は逆で、力を抜いていちいちこんな事を考えないで頭を空っぽにしてやるのがこつのようだ。そうしないと子供の心に集中できない。自然体の追求のようだ。
  修行ではないけど繰り返しやらなければ力が抜けないし子供に集中できない。
  ここでは教師経験で言葉にしたけど願いぐらいで意識もしないし出来たこともない。教師かどうかは関係なく、どんな人のコミュニケーションも原理的には同じかもしれない?
 職業として40年間トライし失敗を重ね
てきた。ドジは今もこれからも千の風になってもトライし失敗を繰り返すだろう。
 だからドジドジなのだと言う噂がある。

  
  
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

スズメに教わる

スズメの学校のドジドジはスズメから学んでいるようだ。
 エサを持って庭先へ出ると、スズメは隣の屋根や高い電線に飛び移り、あちこち俯瞰している。ドジを避ける意味だけでなくネコなどの周囲の危険に対処してる。
エサをやって電線のスズメに手を振ると、今日は1羽か2羽のスズメがミカンの木まで降りてきて、家に入ると、いつものように山鳩と一緒にスズメが群がってエサを突っついている。
 どのスズメもエサより安全を優先する。その逆は1羽もいない。
 距離を縮めるヒントがここにないか?

ヒトも同じで、誰がどこで何をしていようと身の安全を第1に優先して行動する。俯き加減にひたすら歩いていても、メッセージを拒否しても同じ。
 
地球的な資源の枯渇、温暖化、疫病、世界的な経済危機や武力衝突から、個人的な1日3度の食の安全に至るまで、ヒトの安全が脅かされている。その出口が見つからなくて、所謂「世界的な閉塞感」とヒト自ら言っている。
 ヒトはその時、どの安全を優先させるかの違いはあるだろう。
 この町に暮らす人々は誰もが危険を察知し安全の確保を望んでいるだろう。
 日々の生活に追いまくられ、この町に在り、起きている安全を損なうものを誰しも知って早めに対処したいだろう。
 でも生きなければならないからスズメ同様、危険そこそこでエサをとらなければならない。
 問題は安全・安心の何を優先するか?である。安全安心は一人ひとり違うから押し着せられないが子供は将来の最大の共通項かもしれない。
 現役の頃、教室に入る時ドアの開け方から教卓に足を運ぶまで、どれだけ教室の空気を読むのに集中するか。そして、まずはじめにかける言葉も指導の細案を持っている時も、子供達が求めているものにうまく答えないと、間違いなくそっぽを向かれ、授業は失敗する。
現役時代ほとんど失敗ばかりしていた。
養護学校の先生、保育園の先生、子育てする母親の真似はできないと、ずーと思っていた。
 このイメージ・感覚が全てを決めると、ドジは堅く思っているようだ。
 
これまでの政治の文化はそうではない。陣営の勝負をやっていないだろうか?
 ヒトビトはそれを求めてはいないし授業やミュージカルならそれまでになる。
 他人への一声も駅頭の宣伝も町行く宣伝カーも、渡されるビラも、授業であり、教材のプリント見たいな物。安全が確認されると安心して次のステップへ進める。
  良し悪しは
 それを識別するリトマス試験紙はある。授業後、子供が寄って来るか、散っていくかを見ればいい。他の事でも同じだろう。
要は小さな新しい芽が大きく育てば勝っても負けても
次に繋がるから(本当にやっていれば)失敗はあっても負けはない。≪不敗の論理≫
だから選挙も授業同様、本物かどうかがが試される。ゴールはないから磨き続けることになる。磨けば周りの風景が良くなるから御褒美は十分。人生の一コマなんだからそれでいい。
 
 これは、スズメの学校の話。

 
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

目的に対して主体の距離

スケジュールをこなすのはミュージカルの第1幕。第2幕は目的のためにはどうしたら距離が詰められ伝えたい大元が伝えられるかが問われてる。伝わらないければミュージカルにならない。  第2幕は噛み合い始める段階。内容と順序・方法が問われる。                      ここでじっくり時間をかけても智恵の結集を! 

ドジはここで決まると思っているようだ。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )