文化の目途

テレビの娯楽番組についていけず皆と同じように反応できないでいる事が多い。
 何でもありのようだが、娯楽と言えども意味あることをやっているに違いない。
 芸術文化娯楽は即それ無しに喰いパグレないが、その質の良し悪しはあるに違いない。
 多くは、他の生産物と同様、需要の如何で評価されているようだが、社会的にはまた別の物差しがあるだろうと思う。
 それは子供の遊びや勉強が何でも良いとは言えないのと同じだろう。
 子供の遊びや勉強は子供が健康で1人前に成長する事が物差しになっている。
 芸術・文化・娯楽は何を基準にするのか?或いはそれは無いのか?
 テレビに反応しにくいドジは(自分への言い訳かもしれないが)
 歌でもお笑いでも、その先に見ているもので判断しているようだ。
 喜んでみていて、気が付いたら飯が喰いパグレになっていないかを気にしているようだ。
 笑うなら思いっきり笑いたいし、感動するなら思いっきり感動したい。
  時にはそういうこともあるが、少ない。
 むしろ、子供の声やちょっとした気遣いなど、取りたてて(文化)と言われていないものに安心して心が動くことが多い。
  
 
 
 
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政策論争の対象外

(100年来の経済危機)と言いながら産業のあり方を問題にしないのはどう言う事か。しかも日本では歴史的な政権選択で野党民主党は(政策論争)を呼びかけている。しかし、当の民主党が産業あり方を問題にしないだけでなく、対抗する与党や他党、メディアも議論の対象として一切テーブルに載せる気配がない。
 その発想が無いからに他ならない。
   これは日本だけでなく世界の到達点のようだ。
 6年前、地球温暖化は政治問題にはならなかった。
 元アメリカ副大統領のゴア氏は仕方なく(モラルの問題)だと言って政治の世界から去って、世界に警鐘を鳴らして回った。
 そんなこともあって今日に至った。たった6年間の変わりようである。
 (産業構造の転換)も同じような経過を辿るとだろうと思う。
 目立った動きは無いが、地球は否応なくそれをニンゲンに求める。
 時間的には温暖化の問題と大して違わないだろう(3~5年)と、期待している。
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