思想史の年表に終わりは無い

本来の意味とは違うかもしれないが、現在ある【民主主義)を標榜する国の状況を見る
と、【民主主義】で良いのかなと疑問に思うことがある。
 人間同士の中に格差・階級・差別・抑圧がありそれを開放するための概念・価値観として民主主義が考えられ発展してきたが、その目的も果たせないまま、地球的な問題が起きている。
 人間中心の民主主義ではなく、人間を全体の一部分とした広く深い概念(例えば自然)を中心に据えて、人間がものを考え行動する事が求められていないだろうか?
 
 現在は民主主義や民意の名で人間や強者の身勝手さが強調され、このままでは人間全体が駄目にならないか?と思う。
 人の誇りは高いが、存在は思いのほか小さい。だから 勘違いしやすい。
 
 
 
 
 
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

日食に触発されて

地球から見るから日食、宇宙人から見ると地球食。
 これに触発されて、4~500年前「それでも地球は動いている」と見ていたガリレオを調べると、こんな事も言っている。
 「人は人に教える事は出来ない、気付かせるだけだ。」
 その通りなんだが、地球人の多くは今も「人は人に教えられる。」と思い込んでいるようだ。
  教育と言う人文科学は
  天動説(人間の思い中心)へ逆流の傾向にある。
 
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

激安

時代のせいか、地上は全体的に激安は商品ばかりでなく、メディア、政治、経済、
 子供の玩具や育児や教育介護医療など、隅々まで行き渡っているようだ。
 【激安】は価格もあるが、それ以上に価値や意味のことである。
 日本の(政権選択選挙)はいかにも激安である。
 各党派やメディアが対立軸として大言するほど違いは無く、地上に求められているところからおよそ離れたところでのバトルのようだ。
 地球環境やパンデミックはおろか、口にする経済対策も、「ツケを子孫に残さず自分達の手で!」
 の声はどこからも聞こえてこない。
 逆に無駄遣い云々しながら、大盤振る舞いやばら撒き、分け前の分捕り合戦、
 こっちにもお金を回せ、の類である。
 経済社会はお金だけで成り立っていない。むしろそれ以外の人間そのものや社会のシステム、産業の如何による。
 極論すればお金をかけなくても経済社会は成り立つし改善できる。その原理的な発想がどこにも無い。
 使い古したプラスチックの玩具のような言葉を大言して止まない。
 使い古したプラスチックにペンキを塗って激安販売をしているようだ。
 どれを買えと言うのか?
 
それでも地球は黙って回っている。
そこは、もうすぐ月に隠れて見えなくなる。(日食)
 
 

 

 
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )