思いっきり(千の風)になりたい

 

   「世界」  子供の頃から聞き慣れた言葉なはずなのに、自分が使うとどこかおこがましく気恥ずかしい感じになる。 どうしてだろう?

    確か、小学校の卒業文集で 「将来の夢」を1行残すように言われて書いた時、本当はアマゾン川の冒険に行きたいと思っていたのだが、外国へ行くこと自身が夢の夢だったから、ホラ吹きに思われても嫌だから、「日本中を旅行したい。」と書いた。 だからあの頃から「世界」は現実性の無い大きすぎる存在だったのかもしれないが、未だに引きずっているとは意外だった。

    おそらくこれまで得てきた知識や情報が世界を語れるほど広がっていなかったからだろうと思う。

    物事がグローバルに関わってきているこの時代、このすき間を早く埋めないと、この島の市民であっても地球市民には成れないから、(千の風)になってもあんまり遠くへ行けないかもしれない。

 

   

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民主主義や秘密どころの話ではない

 

       世界も日本も子どもたちにとっては (民主主義の危機)どころの話ではないだろう。

   大人は 民主主義の旗を振りながら、元に戻せないほど大地を壊し 無断で返せなくなったツケを残し、子どもの安全をも脅かされ続けてていると言うのに

   大人は誰もそれを見ようともせず   口を閉ざしている。 

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