最後の遊び

残る人生は 地球や自然無くして人も社会も存在しないことを 宣べ伝えたいと思ってる。

 どう伝えるか どれだけ伝えられるか それが最後の遊びだろう

  

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平和への具体的な国内貢献を

 

来年 日本は 世界平和の祭典 オリンピックを実施するが 実際 日本は

  世界平和に全体としてどのように貢献しているだろう?と思ってしまう。

  世界平和どころか国内の平和もあれこれ気になることが多い。

 派手に祭典をしても 平和にとって悪い見本を世界に紹介しないだろうか。

  アレはアレ ではなく 全体的に世界平和への貢献を議論しているのを聞かない。

   難民対策 地球環境対策 軍縮 原発など産業政策 少子高齢化や借金で  世界的に褒められない話は耳にするが 褒められる話はあまり聞かない。

 

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何時でも大丈夫

 

  子供のころ 野山で思いっきり遊んだ経験が 現在 世界のことや教育のことを考える最高の下敷きになっているのは有難い。

   あの経験が無かったら 思いも心境も 今にはほど遠かっただろうと 当時の環境や人々に感謝している。両親は心から喜んで迎えてくれるだろう。

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真逆の認識


       「天」や「神」や「仏」は 今の言葉では宇宙を意味していないだろうか。

    人の「思い」の如何を問わず 事実として社会や人は宇宙を中心に動いている。

   認識できる範囲は限定的だから 便宜的に宇宙を地球に置き換えて思考・判断し行動して大きな間違いはないだろう。

  中心に地球を据える事によって はじめて世界を科学の対象にすることが出来る。

 人類は 数多くの地球の異変を目にしながら バブル経済を競い 争いに明け暮れる。

   今必要なのは 地球を基に 支え合いながら共生社会を作ること。

  現代社会は人の金儲けのために地球を犠牲にして 世界的なほころびや限界を見せているが それを正す はっきりした動きは出来ないでいる。

  

 

    

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