実体のない全て

 

 

   全ての中身は人によって違う。

恋人であったり 家族であったり 世界であったり 国家であったり 信仰や芸術であったり・・・

    各自の相異なる全ての中心が人や自分の思いだったら 実体のない全てになりはしないか。    

      そんな全てが 世界を作ってはいないか。

 

   

    

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始める時

 

   自然と人の関係は

   倫理や道徳や各分野の研究や実践だけでなく人間形成の基本として 生涯ものとして押さえなければならないのだが、

   基本なだけに身に付けるのは難しいのかもしれない。

、  基本は出来るだけ幼い頃から経験した方が良い。

    それとは違った育ち方をしてきた私たちは 伝えるのが難しい。でも始めなきゃ。

   

   

    

 

 

    

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心の準備

1自然と人

2今 求められる教育原理

  この2つが 岐阜へ向けての要旨だろうと考えている。

教育では探索行動と身体感覚の大切さを 計測結果を加えて具体的に説明したい。よっぽど考えないと伝えるのは難しいよな。

    

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パッチワークをきれいに

 

 

   昨日 自然派である友達に「地球と人」の関係を話した。 話の途中で自然中心と人中心が入り混じったパッチワークが張り付いてるイメージが浮かび 自分が重なった。

    自然中心で在りたいと願っても すでに沢山の人中心が張り付いている。伝えるのは本当に難しい。

    全部きれいには出来ないだろうが もう少し整理整頓したら もっと世界が明るくきれいに見えるだろう。

    

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考えてることが解らない

 

  人類が共生・協力を求めるなら兵器は必要ない。

    これまでのしがらみで必要だとしても願いを実現しようと思えば 減らす努力は常に求められるが

   今は どうなっているんだろう。

     特別扱いされてる 兵器の生産 売買 輸送 消費など 分からないことだらけだが

      本当の意味で安全保障を考えたら そんな呑気なことを言ってられる時代ではないはずだ。

                 一体 人は 何をどうしたいのだろう?  

     

 

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せこいのは嫌い

  個人の意思と言っても 対象が限定されたものと あまり限定されないものがある。

  比較的 欧米では後者 日本では前者の意思が問われることが多いような感じがする。

  これは物事の選択においても言えそう。

  行き詰まっている現在 自然と共生し人の支え合う関係を樹立し発展させようとすれば 基本に立ちりやすい

  のは 後者だから もっとのびのびやらないと・・・

 

 

 

  

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