本末転倒

私たちが学ぶべきは 既成概念のべったりへばりつき身動きできないでいる「先生」なく 自由な幼子ではないだろうか。

 大人は1人前の社会人に育てようとするが 社会そのものがおかしくなっている現状では 大人は本来の在り方を見出すべく 幼子から学ぶ方が合理的ではないかと 本気で考えている。  だから「先生」の話は眠くなるが 幼子の遊ぶのは面白くて飽きないのが何よりの証拠じゃ。

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2つの壁と固有の感覚

 

自然をも国家存立の基盤として憲法を持っている国家は 未だ地上には無い。

 憲法は自国を中心に作られているから 世界がグローバルに動き変化する時代にあっても 政策をグローバルに発想することすら難しい。 これが世界の現状だろう。 

   現状の行き詰まりに対応するには国家と自然の壁を越えた 2段階の発想の転換が必要になる。

  今世界は 1段目の壁にぶち当たっている。

   国家とは別に個人の暮らしは 憲法等の壁で規制されるも 究極的な壁は作れるものではなく自由である。

    個人固有の感覚を他がどうして変えられようか。

    

  

  

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幼児の動きから学ぶ

幼児の動きを見ていると 全身の感覚が全方向に働き反応しているかのようで

 動く仏像にも似ている。

 大人の個別に異なるが感覚が特定の方向に働き反応しているのとの違いを感じる。

 特定の動きが求められる時は後者は効率が良いが 主体的な探索には向いていない。

  現代社会が求める創造的な活動には 幼児の全方位感覚が大事ではないか。

   学力テストの成績を上げる教育は全方位感覚を育てるのとは相容れない。

 

  

 

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