森の幼稚園の先にあるもの

 

  社会化され過ぎた人類は 自然への不適応現象を来してる。 とすれば社会の在り方だけでなく文化そのものが問われることになる。

    なかでも 経済活動 教育 情報は検証の対象か。

 「森の幼稚園の先にあるもの」はこれだろうと思う。

 

    

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言うことをきく良い子

 

 「言うことをきく素直な子」と「天真爛漫な素直な子」

  素直な良い子にも2通りある。

  子どもの頃 前者の良い子を求められ褒めるのを多く見た。 後者を求める大人は「話がわかる」と子供の中では人気があったが多くは無かった。それを言う大人は学校の教師や親だったが 教師の方が権威があったから子供にとっては

 教師の目線が一番気になった。

  今考えると 学校や教師には学校の仕組みやカリキュラムがあって それを子供にあてがうわけだから 言うことを聞かせるのは 仕事であり 言うことを聞く素直な子を良い子として扱うのは当然で もともと子どもの心とは立場が違う。

 特に学力を比較競争する今の教育は 権威に素直な子を生み、自然への反応を鈍をらせるのは仕方ない。

 良い子はやがて環境や人の自然をも犠牲にして社会的価値を求め発展させようろとするが、社会が持続不可能で行き詰まった現状の今日は 教育の原理原則を本来へ戻し人の価値観を変えるほかない。

 

 

 

 

 

 

 

  

  

 

 

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78歳初日

 

    大自然の健康診断は誰がするんだろう? 誰が管理しているんだろう?

 ちょっと思いつかないが  誰もが 程度の差こそあれ 地上の自然はおかしくなっていると感じているのではないだろうか。自然が壊れては 人は存在すらできないのに その危機感が感じられない。(政府はもとより マスコミ 選挙ではどの党派からも  全くその声は聞こえず情報は たまに伝えられる程度)

 やはり 人は大自然との関係でも上手く反応出来ていない。 人は己の自然としての体にも上手く反出来ないでいることが類推される。身近な世間に反応しやすい民族性からして 特に日本が気になる。(78歳の初日)

 

 

   

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会話で大事な事

 

  視野を狭めたことが今の行き詰まりを来しているのに 視野を広げるべく議論にはほとんど出会わない。

  年金 憲法 対韓国 など重要な問題に世界や自然を加味した分析は見当たらない。

  身近な会話も同じようにせこせこしたものになってはいないか?

    会話を楽しむポイントは視点を他に移したり拡げたりすることが大切かもしれない。

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満足

 

 

      この地の梅雨明けは来週らしい。

     グズベリーの赤くなったのが山ほどとれ、畑の採りたてのキュウリやトマトは初恋の味。

      芋を掘る 彼女のこみ上げる喜びの声

      雑草を抑える藁をまきながら スズメの振る舞いをながめていた。  大満足!

       ポストからはみ出した新聞の見出しは トランプ氏 韓国 イラン 難民 参院選。 

                    世は 子どもから老人まで せきたてるが   ものは 成るべくして成る それだけ。

 

   

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