やがて 日は登る

「全体知」の究極の意味するところは 社会全体を包む自然に対する知的な認識ことだと考えられるが

今朝の政治討論会における発言でそれを感じさせるものは皆無だった。しかし 人類がそこへ向かうのは避けられず、遅々としながらもやがて目にする。

人類は 現状の宗教やある種の科学が 部分知であることを認識する日はいつの日か?

全体知は無限に探索されるべき対象であり 私たちはそこで生を受けている。謙虚が求められる由縁である。 

 

  

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マスコミ界の責任と能力

親の体罰に対し親に寄り添うことの大切さを指摘する論調には大いに賛同する。

一方、少年への厳罰化が進められようとしているが、上記の趣旨とは整合性に欠ける。

マスコミでは 夫々の「専門家」が登場し正当性を主張するが 全体としてどうするか?の専門家が登場しない。

 「全体知」が求められる時代に 登場するのは「部分知」の専門家ばかり。

 これでは 上手くは進まない。

  マスコミの権力への偏向報道より 基本的な能力が問われる。

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「現状」認識の乖離

私たちがマスコミなどによって見せられてる世界や日本の様子は 実際の現状とは かけ離れているようだ。可視化される現状は 可なり安全が脅かされており、同じものを見ているような気がしない。

放送討論会は現状認識を共有せず自己主張し合っている。かみ合わぬ議論が常態化したまま進める異常さ。「討論」を管理する 局や司会者の責任とも言える。ところで、国会の議論も同様だが あの議論を管理するのは 誰だろう? これが民主主義の品行か?

 

  

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足が弱ってる

日の出前 東の空は明ける兆しも無かったが 西の空にはオレンジ色の満月が輝いていた。

  この歳になって初めて見る風景に刺激され 新たな思いが次々浮かぶ。

 

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