寄り合い

 

   75年前 国土は戦火で荒廃していたが既に敗れ終戦していたが

 現在は ある意味では あの時以上に世界中 人類対自然で戦い人心は荒廃しながらも戦争は終わっていない、これが私の現代の心象風景である。

戦災は一般市民に特に犠牲を強いるが、市民に力はなく成す術も無い。そんな風景が続く。 

 成す術が無くても 市民には暮らしがある。本当に術がないのだろうか?

 昔「寄り合い」があった。今 必要ではないか。

 お喋りでも歌でもゲームでも良い。3人寄れば「文殊の知恵」 今こそ必要を感じる。

 

 

 

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聞くことの難しさ

ここまで人間関係が壊れると語り合うことは 難しい。

 一方的に喋りかみ合わない は珍しくない。

 相手の話を引き出し聞く心と技術はより難しいこと。 なかなか出来ずにいる。

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 先ずは 自らを語る

台風もコロナ感染も被害は語られるが温暖化や自然破壊は語られず、ゴーツーキャンペーンは語られても経済は語られない。

木を見て山を見ず を繰り返している。

出来事の末節的な現象に目を奪われ原因や背景を見ないから 被害を繰り返して止まない。

そんな暇はないのだが 誰がどうしたら改善されるか? の答えは無い。

 結局は  被害を受ける一人一人の市民が自らの事として他人に下駄を預けず対峙し 言葉を交わさずには 始まらない。 事の根は深い。先ずは自らを語る。   

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整理術

近代思想を成した大元に「天賦人権説」なるものがある。

万人が生まれながらにして持っている権利のことだが それをめぐっては諸説あり定まらないことが多い。

人と自然の関係は 混乱した議論を整理するのに役立つ。

 自然無くして人の存在は有り得ないことを原理にして検証してみてはどうだろう?

 世の中の出来事を「自然の法が人為に優先する」 この原理で検証したら今よりは整理がつくような気がしてる。

 

  

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市民の持ち場

「信無くば立たず」 世界の現状を言い表しているようだ。

 今は「市民が動きやすい環境」かもしれない。

  そもそも 時代転換のエネルギーは市民の中に存在するのではないか。

   権威や権力が担う政策や対策とは性質が違うような気がしてきた。

  個々の市民には かけがえない生命や人生が掛かっている。

 

  

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見え難いが 着実な市民の動き

i医療体制であろうと医療行為であろうと 病の実態把握無しにする話では無い。

疫病も実態把握の検査は対策の一丁目であり 日本は出だしから踏み外していた。

この第3波で やっとこのことが関係機関のテーブルに載りつつあるようだ。

 遅ればせながらも 良いことである。

 このあたりでさ迷っているから コロナ後の経済対策や社会づくりは かなり先の話になるだろう。

 ゆっくり歩むことの良さもあるかもしれない。

 市民の動きもパッとはしないが 自然に しかし着実に前進している。

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環境への調整力

 

状況の変化に対して 個人や社会の反応や歩みのこんなに遅いことに これまで気が付かなかったことに自ら驚いている。

それでも全体的には時間をかけて良い方向に進んではいる。

この地球は昔も今もこれからも一つ。

 

 分かっていても 物を求めた争いに明け暮れ コロナや暴風雨 経済が行き詰まっても 調整は困難を来してる。 

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