月が見られる

月から地球を見たいがそうもいかないので、地球から月を見ることにした。
  やっと、小型の天体望遠鏡を手に入れた。子供の頃、星や月は否が応でも目に入り、付き合わざるを得なかった。
 あの月の表面に自分を置いて拡大して見てみたい。
  手ぐすね引いてその瞬間を期待してるが、昨日も今日も、
あいにくの雨。明日こそ見られるといいな!
 
    とにかく、月の表面の凹凸(クレーター)想像すると、観察する仕事もいいな!と思う。

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月の中の自分

昨日、囲碁の帰り道、山の向こうに明るい月が出ていた。
 北海道を離れてから、ゆっくり月を眺めることは殆どなかったが、「月から見た地球」の逆が出来ると思い、月の表面に、自分を置いて眺めた。
   やっぱり孤独。無限にも見える空間と時間をバックにすると、地上で生きてる自分と、月の中に見る自分は、あまりにもかけ離れている。
    【生かされる】と言う言い方があるが、なんと言う生き物か分らないが、ただそこにいるだけ。
      帰えると、オリンピックで金メダルだの何だのと、やっぱり騒がしい。 
        ところが、2~3時間もしないうちに、柔道の谷本歩美が決勝で鮮やかに1本決めると、「さすが、北海道!!」と、地上の自分は間違いなく喜んでいる。
     月の中に見る自分も、家の中での自分も同じなのだが‥‥

  とにかく複眼っておもしろい。

   

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【自分】

我々はいつの間にかどこかで、変な習慣を身につけそれを【自分】だと勘違いしていないだろうか?と思う。
 勘違いするぐらいだから、【自分】は自分にこびりつき、簡単には取り除ない。
 人と人の関係は、お互いこびりついた物を持ちながら、違いをすり合わせることによって、こびりついたものと、元々の自分を浮かび上がらせ、剥がす事を可能にするかもしれない。
 自然体も個々、人によって違う。  
  どんな人も、他者との共同作業なしに、自分の自然体を見出せないのではないか。
  
 

逆に、共同作業の装いで、一方的な(例 教えるー教えられる)関係は、本来の自分をさらに見えにくくする心配がある。
    もしそうだとすると、世の中は大いなる誤解をし、一方的に教える共同作業?や、携帯などの共同作業には向かない擬似コミュニケーションが溢れてる。
  
 何かを教えるとき、よっぽど気をつけないと、共同作業の基本を忘れ、意図しないものを強く教えむ?‥結果になりかねない。

      ためになる話や、物事を教え始めたら気をつけたほうがいい。

    学びの伴わない教えはない。

    どんな場合も、他人ををロボットにしたり、自分ががロボットになったりしてはいけない。

人は誰でも、常に学び、本来の自分を見いだそうとして、生きてる存在ではないだろうか。 

 

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草取り

家の小さな庭は草ぼうぼうにして、友達のやっている借り農園の草取りを手伝ってきた。
 朝7:00集合。2反分近くある畑も雑草だらけ。
 その中に、朝顔がこんもりした花の山のように、びっしり咲いていた。
 こんな朝顔の延ばし方は、はじめて見たが、いいもんだ。
 朝早かったからか、朝顔の青がきれいですいこまえrそうだ。
  友達が有機肥料の話をしてくれたが、その話も面白く、精気一杯の朝だった。
   バイクに、一杯野菜をいただき、昼も夜もたっぷり食べた。
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油断大敵

こんなに荒れている世の中では、「和して同ぜず。」ぐらいでは希望を見失い、身が持たない。

崩壊は黙っていてても次々、目に入るが、萌芽はそうはいかない。

  結局は芽を見つける自分の目を持たなくては無理。
  立ち止まったり油断したら、それまでのこと。
   
    一昨日、母親と離れて暮らす中学生が、母親に会った時、「お母さんをコピーして、実物が私の傍にいて、コピーが帰るといいのに。」との話を聞いた。その言葉を言った娘も、心に留めて話してくれたお母さんも、凄い!と思った。

    昨夜、近くの居酒屋で飲んだ。道路工事をやってる風のおじいさん?、五輪のテレビを見ながら、「世界のヒトは皆、おなじだなー』とつぶやいていた。
   言葉だけなら、何度も聞いているが、その時は、世界が見渡せるようで嬉しくなった。
      立ち止まったり、油断してなくてよかったなあ。
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気をつけたい2つの事。

見ていて、気になる事が2つある。
一つは、オリンピック、1つは、国政。
オリンピック熱が高まる中、日本オリンピック委員会は、日本の目標は、金メダル10個、メダル総数30個と発表した。
 メダル獲得の予測番組はたけなわな。評論家は、メダルの(量産)期待を口にし、メダル獲得をオッピラに宣言し約束するかのような選手や監督も出てくる。
 東京都知事は多額の税金をつぎ込んでいるのだから、メダルを期待するのは当然だと言う。
 私も、日本選手が頑張ってくれることを願って、連日競技を追うだろう。
 選手が金メダルを目指して競っているのだから、当然と言えば当然。
  しかし、上ついたかまびしさには違和感を感じる。
 そもそもの【スポーツ】の語源(リラックス)や歴史を考えたら、せっかっくやっと我々が手にしたスポーツ権とも言うべきものを、自らこんな扱いをしていいのか?と思う。
 自分もスポーツは大好きだし、囲碁と同様、勝負をかけてやる。でも、夢中になるのはスポーツや囲碁の中に勝負以上のものがあるからである。それを見失ったり、それを超えて期待するのはお互い止めたほうがいい。

   もう一つは、政治による経済の舵取り。
 新内閣を《安心実現内閣》と名づけたようだが、やはり感覚的なズレを感じる。
  昨今の状況は、安心ではなく、安全を求めているのではないか?
 ちょっとした言葉の違いだが、内容は大きく違う。

  例えば、日本の経済は今、安心を求められるような状況や可能性が  あるだろうか。
 世界の動きの中にあって、手足は縛られ、誰が政治を担当しても、国民に経済の安心を宣言し約束できるような状況にはないと思う。
 それどころか、経済や社会があちこちが壊れている中にあっては先ずは安全のための応急措置が必要ではないか。
  毎日、100人からの自殺、孤独死300人、家出300件、離婚800件など、家庭崩壊、人間崩壊は現在の経済社会の壊れの端的な表れ。
 
   大至急手当てしなければ、どんな政治も経済も意味がない。

 とてもとても安心を期待するどこではない。まして、景気浮揚策や税金云々している場合ではない。
 まずは、国民の安全を図る(セフティネットの修繕)事を、最優先にし、それを前提にして、物を語るべき。

 例えば国の歳出歳入も、現実の国民生活の安全を最優先して考えられるべきで、言われてる(骨太も、シーリングも、無駄ずかいも)これまでの経済成長を基にした枠内の話。

 そういう現実はとっくに過去のもの。
  大病の患者(国)に最優先するのは何かを考えればいい。
 ちょっとそっとの予定変更では済まない。
 
  まして、景気再浮揚策にうつつを抜かしている場合ではない。先ずは休ませ、痛みをとること。それから食や運動もリハビリも必要になる。元気に働くのは、それからだ。
 
   ばら撒きも、借金も、、どんな経済対策も緊急な応急措置が前提なのに、今はそうはなっていない。 

 気をつける2つの事は、我々の心や命に関わること。 
 
  庭に来るすずめの中に、これを見失ったすずめは、唯の一羽も       いない。
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囲碁の面白さ

囲碁はそんなに強くはないけど、親の死に目に会えないぐらい、友達との飲み会をウソついてサボるぐらい好きだ。

 勝つのもいいけど、おもしろさはどうもそこでないようだ。
 「囲碁」と言うぐらい
だから、白と黒はお互いに囲い合っている。その囲い方が、お互いの1手1手で形が変わる。だから、一手は線の始めのポイントや、囲みの線を意識しながらどこに引き足すかの選択で.,碁盤に自他の石をみながら新しい自分の一線を描いているようなものだ。
  どこに線を引くかは、好みだけど、碁盤を広く見ていないといいところに、いい線が引けない。
 強いヒトは盤面を広く見てよりいい場所にいい線を書く。だから囲碁はそれぞれ相手より気持ちのいい囲み方を考えている。より囲み方がいい方が結果とし勝つことになる。(実際は技術もあるからそうとばかりも言えないが。)
 だから囲碁は共同でする(お絵かき)ともいえる。盤面のどこにどんなイメージをもって線を描くかは、碁盤は画用紙のような物で端から端まで見ていないと、線がどこにどうひき、どんな形の囲みを考えているか自分自身が気づかない。
盤面を大きくみて書いているつもりでも、いつの間にか部分的な狭いところに押し込められ、もがいている事が多い。

 経済や社会を考えるときも、部分的に拘り、全体的な間違をしてしまう事はよくある。
 
 事故を起こした運転手が、トラックの陰のバイクに気が付かなかったと言っても、それは目の前の目に見えるものだけの自分勝手な見込み(思い込み)運転で、影に物がないとは言えない。可能性の予知、予見を欠いた油断した運転と言う事になる。
 
  社会の問題も視野を広げないと、全体の中での意味が分らない。ところが、習性のように。囲碁ではすぐさま目が局地に拘り、全局的な意味の手を打てなくくなりやすい。
 午前中ブログ、午後の囲碁も注意して全体の中で見るので頭の使い方が似ていると、最近思うようになった。
 
 碁盤は宇宙にも例えられ、盤の端から端まで見ないと今書いた線の意味が分らない。社会の色々な出来事も同じで、今は最低地球まで見渡さないと、一つ一つの社会現象の意味を間違える。
 
 ミュージカルも、子供との付き合い、お寺で座るのも、おなじかなあ。

このことに気がつき、自分のやってる事が繋がっている気がするのか、落ち着くものだ。

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気分のよかった4つのこと

その1
   「月から、宙に浮かぶ地球にいる自分を見たら、自分を(孤独)な存在と感じる。」先日、(ロミオとジュリエット)を踊る、あるバレリーナーが言った言葉。だからこそ、ロミオへの愛を思いっきり踊れるのかと思った。とにかく、地球上に60数億の孤独なヒトがうごめいていることになる。ヒトが水平に見えて気分がよかった。

 その2  
   この1年、追っかけをしていた、ミュージカル関係者の集まりに顔を出した。 誰もが、引き続き来年もやりたいと思いながら、裏方が大変だったようで、 今後どうするかを皆で考え迷っていた。 結局は、舞台監督の一声が背中を押して、具体的に一歩前に動いた。 この集まりも、あのミュージカルの続きのようで、こういう気持ちのいい集まりもあるんだ! 
  
 その3
   昨日、67歳にして車の免許の更新手続きをしに府中に行ってきた。講習で、わき見、飲酒、スピードの出しすぎなどは、予知能力を低下させ、安全運転の上からよくない事を、VTRを使って見せてくれた。尤もだと思いながら、地球号や日本丸を運転する人たちは、免許の更新や、予知能力を高める講習はあるのかな?ととんでもない事がよぎった。 帰り道、駅の中でどこかのおばあちゃんと迷っていたら、 気配を感じてか、どこかの綺麗なお姉さんが傍によってきて、教えてくれた。 電車に乗ったら、座席が一つ開いている。2~3歩行って座ろうとすると、 これまた綺麗なお姉さんも座ろうとしたが、目が合って、譲ってくれた。   
 
  その4  
  囲碁をやり、くたびれて帰った晩飯時。  
  「赤塚富士夫の あの?あの?あれなんだっけ?」と言うと、奥さんすかさず   「バカモンパパ?!」と教えてくれた。   
   娘に「また、墓石の言葉が出来ちゃった。」と言うと           ウン ウン とニコニコしながらうなずいている。 

    
      

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崩壊と萌芽

「破壊なくして創造はない。」と聞いた事がある。それに倣うと、文化や文明も同じだろう。

  社会のあちこちに崩壊の様相を見ると、これも新しい社会の訪れを意味し、(見えにくいが)崩壊と新しい社会の萌芽は、同時進行しているかもしれない。
 
  これまでの権威が崩壊しているのを同じ権威の物差しで測ってがっかりしている自分に気付く事がある。考えると、新しい社会の芽が今の社会で権威を持っているはずがない。

  それにしても漢字は面白い。「崩」と「萌」は冠が違うだけで、音は同じ「ホウ」。意味がどこかで繋がっているのだろう。
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崩壊と萌芽

「破壊なくして創造はない。」と聞いた事がある。それに倣うと、文化や文明も同じだろう。

  社会のあちこちに崩壊の様相を見ると、これも新しい社会の訪れを意味し、(見えにくいが)崩壊と新しい社会の萌芽は、同時進行しているかもしれない。
 
  これまでの権威が崩壊しているのを同じ権威の物差しで測ってがっかりしている自分に気付く事がある。考えると、新しい社会の芽が今の社会で権威を持っているはずがない。

  それにしても漢字は面白い。「崩」と「萌」は冠が違うだけで、音は同じ「ホウ」。意味がどこかで繋がっているのだろう。
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